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	<title>東葛まいにち &#187; 今ここに在る命</title>
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		<title>今ここに在る命一覧</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 22:01:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

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		<description><![CDATA[
 
５年間、仕事をしながら母親を自宅で介護して最期を看取った喜多忍さん（68）に突然襲った病魔。
脳梗塞で倒れ、続いて心筋梗塞、肺に腫瘍と、次々に病に冒された４年間の病気との闘いの記録を「手記　60歳からの出発　今ここにある命」と題してシリーズで掲載する。
多くの人に生きる力を与えられればと願い。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p style="text-align: center;"><img class="aligncenter size-full wp-image-202" title="今ここに在る命" src="http://210.198.3.181/images/2009/07/inochi.jpg" alt="今ここに在る命" width="299" height="106" /></p>
<p> </p>
<p>５年間、仕事をしながら母親を自宅で介護して最期を看取った喜多忍さん（<span lang="EN-US">68）に突然襲った病魔。</span></p>
<p><span lang="EN-US">脳梗塞で倒れ、続いて心筋梗塞、肺に腫瘍と、次々に病に冒された４年間の病気との闘いの記録を「手記　60歳からの出発　今ここにある命」と題してシリーズで掲載する。</span></p>
<p>多くの人に生きる力を与えられればと願い。</p>
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		<title>No.17　記憶障害との闘い</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 22:00:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

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		<description><![CDATA[この２、３年違和感を覚えてきたことがある。
車を駐車場から出そうと、キーを挿入したが、その先どうすればエンジンがかかるのかが分からない。
運転席で硬直状態でいると、係が飛んできた。出して下さいと催促されても、どうしていいか分からない。とっさに「気分が悪くなったから、代わって出して」とうまくごまかししばらく路肩に車を寄せて呆然とした。
ある時は自宅に帰る高速の出口が分からなくなり、水戸まで行ってしまったことも。決定的だったのは、ある会合の自己紹介の場面で自分のフルネームが出てこなかったことだ。
これまでも、いくら本を読んでも覚えられない。調べたはずの事柄が思い出せない。人の名前や固有名詞をほとんど覚えていなかったなどがあった。認知症の本を読みあさり、施設を訪問して認知症の人と会い自分と比較するなど、何度も何度も同じことの確認を繰り返し、目に見えて物事が消えていくことに不安に感じていた。脳梗塞が引き金の「失語症」「高次脳機能障害・記憶障害」の症状だと診断された。
この恐怖をごまかすために大学で新しい勉強を始め大学の通信教育の社会福祉学科３年に編入し、国家試験を目指す目標を立てた。
毎週、レポートをせっせとワープロで書き提出し続けたが、ことごとく不合格。
朝から図書館にこもり教科書、参考文献を読みまくりポイントをノートに書き写した。８カ月目にやっといくつか合格のレポートが戻ってきた。
合格した科目については、科目終了試験が受けられる。
また朝９時から５時まで科目試験受験勉強で図書館にこもる。
試験は３科目申し込むと、同時に３科目の試験問題を３時間（１科目60分）で解答する方法だ。
私は出来なくても必ず３科目受験する。麻痺した右手で字を書くのは他の人の何倍も掛かる。やさしい問題を選んで解答しようというもくろみは根底から崩れた。問題の意味すら理解できない。あんなに本も読み込んできたのに、専門用語が並ぶと全くお手上げだ。ほとんど白紙で提出。見事に３科目不合格。
２年目に入ると、レポートの合格も増えてきたが、相変わらず試験は難しい。試験問題さえ覚えていない状況では合格は無理だ。
しかし、09年５月頃から合格率が上がりそして８月、ついに奇跡が起きた。３科目とも合格の通知が来た。この２年間毎月試験を受け続けてきた成果だ。
試験会場では回数を重ねているので多くの受験生があいさつをしてくれる。福祉系や医療系の人達は「試験を受けることだけでもすごいこと。まして合格して卒業できたら快挙だ」とおだててくれた。
今でも試験は緊張する。答案用紙を前に漢字で名前が書けずに必ず、受験票を見て書いている。
その後は、レポートも２課題分再再提出。それを含めて試験も11月２回、１月１回の３科目残すのみ。これで合格すれば完
了だ。　
11月の試験は２回とも合格。単位が足りていたことで最後の試験に挑戦することなく、３月に晴れて卒業できることになった。
悩み続けた１年半、思い切って正面から挑戦して２年半、「失語症」「高次脳機能障害・記憶障害」との闘いに希望が出てきた。
個人差は当然あるが、私の挑戦はまだ続く。
（完）
「東葛まいにち」2010年3月10日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>この２、３年違和感を覚えてきたことがある。</p>
<p><span id="more-1694"></span>車を駐車場から出そうと、キーを挿入したが、その先どうすればエンジンがかかるのかが分からない。<br />
運転席で硬直状態でいると、係が飛んできた。出して下さいと催促されても、どうしていいか分からない。とっさに「気分が悪くなったから、代わって出して」とうまくごまかししばらく路肩に車を寄せて呆然とした。</p>
<p>ある時は自宅に帰る高速の出口が分からなくなり、水戸まで行ってしまったことも。決定的だったのは、ある会合の自己紹介の場面で自分のフルネームが出てこなかったことだ。</p>
<p>これまでも、いくら本を読んでも覚えられない。調べたはずの事柄が思い出せない。人の名前や固有名詞をほとんど覚えていなかったなどがあった。認知症の本を読みあさり、施設を訪問して認知症の人と会い自分と比較するなど、何度も何度も同じことの確認を繰り返し、目に見えて物事が消えていくことに不安に感じていた。脳梗塞が引き金の「失語症」「高次脳機能障害・記憶障害」の症状だと診断された。</p>
<p>この恐怖をごまかすために大学で新しい勉強を始め大学の通信教育の社会福祉学科３年に編入し、国家試験を目指す目標を立てた。</p>
<p>毎週、レポートをせっせとワープロで書き提出し続けたが、ことごとく不合格。<br />
朝から図書館にこもり教科書、参考文献を読みまくりポイントをノートに書き写した。８カ月目にやっといくつか合格のレポートが戻ってきた。</p>
<p>合格した科目については、科目終了試験が受けられる。<br />
また朝９時から５時まで科目試験受験勉強で図書館にこもる。<br />
試験は３科目申し込むと、同時に３科目の試験問題を３時間（１科目60分）で解答する方法だ。</p>
<p>私は出来なくても必ず３科目受験する。麻痺した右手で字を書くのは他の人の何倍も掛かる。やさしい問題を選んで解答しようというもくろみは根底から崩れた。問題の意味すら理解できない。あんなに本も読み込んできたのに、専門用語が並ぶと全くお手上げだ。ほとんど白紙で提出。見事に３科目不合格。</p>
<p>２年目に入ると、レポートの合格も増えてきたが、相変わらず試験は難しい。試験問題さえ覚えていない状況では合格は無理だ。<br />
しかし、09年５月頃から合格率が上がりそして８月、ついに奇跡が起きた。３科目とも合格の通知が来た。この２年間毎月試験を受け続けてきた成果だ。</p>
<p>試験会場では回数を重ねているので多くの受験生があいさつをしてくれる。福祉系や医療系の人達は「試験を受けることだけでもすごいこと。まして合格して卒業できたら快挙だ」とおだててくれた。<br />
今でも試験は緊張する。答案用紙を前に漢字で名前が書けずに必ず、受験票を見て書いている。</p>
<p>その後は、レポートも２課題分再再提出。それを含めて試験も11月２回、１月１回の３科目残すのみ。これで合格すれば完<br />
了だ。　<br />
11月の試験は２回とも合格。単位が足りていたことで最後の試験に挑戦することなく、３月に晴れて卒業できることになった。</p>
<p>悩み続けた１年半、思い切って正面から挑戦して２年半、「失語症」「高次脳機能障害・記憶障害」との闘いに希望が出てきた。<br />
個人差は当然あるが、私の挑戦はまだ続く。</p>
<p>（完）</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年3月10日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		<title>No.16　柏への転居</title>
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		<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 22:00:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

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		<description><![CDATA[退院してから私の時間の配分は大きく変わった。
冷静に手術を断り、一見強い意志で、自分を律しているように見せていたが、死の恐怖は絶えず襲ってきた。特別な予定がない時は、墓参りがその日のスタートになった。

８月に入ると温泉巡りだ。○○温泉は病気に効く、どこどこの温泉で病気が治ったなど、人伝えや、噂、昔からの言い伝えの温泉、がむしゃらに温泉めぐりに明け暮れた。
また、何の食べ物は体にいい、漢方薬が効く、あそこの水がいいと聞くと汲みに行った。一日としてじっとしていられない毎日、朝から夜まで何かをやり続けていた。
娘が柏に一軒家を手配してくれた。私がいなくなった後のことを考えてのことだろう。すぐにでも引っ越してきて欲しいと言ってきた。最期は、自分の人生の大半を過ごし、それなりの実績のある地で死を迎えたいと願っていたので、「どんな事があっても動く気はない。一人でもここに残る」と皆を困らせた。ここを拠点に、「年内にかけよう」と民間療法や免疫治療に明け暮れた。
２００４年12月29日、期限の残りもあと３日。
さすがにこの時期ここで最期は寂しすぎる。我慢ができなくなり、怖くなり、わずかに残しておいた荷物と一緒に柏に引っ越した。残りわずか、確かに恐怖もあった、しかしどこかで「俺の勝ちだ！」そんな気持ちも強くなっていた。
新しい年と共に、紹介された近くにある大学病院との二人三脚が始まった。脳外科、循環器、呼吸器の先生達とも相性は良さそうである。月に１度の定期検診と手足のマッサージ、免疫治療、温泉巡りがさらに続いた。手術をしなかったことが正解だった。しかし１カ月検診が半月に短縮された。
柏に移って２年目、相変わらず手足の麻痺はとれず歩くことは不自由だ。
１００mの壁が破れない、階段は心臓が苦しくなり家の２階にも上がったことがない。言葉は何故か小さくなってしまう。排尿障害、嚥下障害は改善されない、味覚障害は牡蠣（カキ）を食べると治ると聞き、食べ続けた成果か、わずかだが味が分かるようになってきた。
知人から、施設を運営している人の講演会を企画しているので手伝わないかと誘われる。柏に来て地域との交流が無かった私にはありがたい誘いだった。会場の手配やチラシ作り、人集めなど久々の活動の機会だ。進行役も指名された。やる気十分だが、打合わせなどで緊張すると声が出ない。のどの麻痺が影響しているのか、話し始めて一定の時間が経過するまでは声が裏返ってしまう。泣いているように聞こえるらしい。急きょ、代役を頼んだ、それ以来彼は私を支えてくれている。これで少し自信が蘇ってきた。
その年の障害者の日、車椅子の大臣・八代英太氏を講師に記念講演会を企画した。講演依頼から会場やボランティアの手配、チラシの作成など私が中心で行った。
11月の半ばから、なんとなく歩く時の不自然さを感じなくなった。夢中で動き回って、回復してきたと喜んだ。
記念講演は大盛況だった。終了後、控え室で「この街は君の頑張りを必要としている。障害者、高齢者に優しい街に変えないと」との指摘を受けた。「市の会場も車椅子対応ができていない、駅前が段差ばかりで、車椅子の人を一人も見なかった」と多くの宿題を与えられた。
街づくり、高齢者、障害者、地域支援など、さまざまな分野で活動の機会に恵まれ、休みなく各地を飛び回る日が続いた。
「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載
（次回最終回）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>退院してから私の時間の配分は大きく変わった。<br />
冷静に手術を断り、一見強い意志で、自分を律しているように見せていたが、死の恐怖は絶えず襲ってきた。特別な予定がない時は、墓参りがその日のスタートになった。</p>
<p><span id="more-1516"></span><br />
８月に入ると温泉巡りだ。○○温泉は病気に効く、どこどこの温泉で病気が治ったなど、人伝えや、噂、昔からの言い伝えの温泉、がむしゃらに温泉めぐりに明け暮れた。</p>
<p>また、何の食べ物は体にいい、漢方薬が効く、あそこの水がいいと聞くと汲みに行った。一日としてじっとしていられない毎日、朝から夜まで何かをやり続けていた。</p>
<p>娘が柏に一軒家を手配してくれた。私がいなくなった後のことを考えてのことだろう。すぐにでも引っ越してきて欲しいと言ってきた。最期は、自分の人生の大半を過ごし、それなりの実績のある地で死を迎えたいと願っていたので、「どんな事があっても動く気はない。一人でもここに残る」と皆を困らせた。ここを拠点に、「年内にかけよう」と民間療法や免疫治療に明け暮れた。</p>
<p>２００４年12月29日、期限の残りもあと３日。<br />
さすがにこの時期ここで最期は寂しすぎる。我慢ができなくなり、怖くなり、わずかに残しておいた荷物と一緒に柏に引っ越した。残りわずか、確かに恐怖もあった、しかしどこかで「俺の勝ちだ！」そんな気持ちも強くなっていた。</p>
<p>新しい年と共に、紹介された近くにある大学病院との二人三脚が始まった。脳外科、循環器、呼吸器の先生達とも相性は良さそうである。月に１度の定期検診と手足のマッサージ、免疫治療、温泉巡りがさらに続いた。手術をしなかったことが正解だった。しかし１カ月検診が半月に短縮された。</p>
<p>柏に移って２年目、相変わらず手足の麻痺はとれず歩くことは不自由だ。<br />
１００mの壁が破れない、階段は心臓が苦しくなり家の２階にも上がったことがない。言葉は何故か小さくなってしまう。排尿障害、嚥下障害は改善されない、味覚障害は牡蠣（カキ）を食べると治ると聞き、食べ続けた成果か、わずかだが味が分かるようになってきた。</p>
<p>知人から、施設を運営している人の講演会を企画しているので手伝わないかと誘われる。柏に来て地域との交流が無かった私にはありがたい誘いだった。会場の手配やチラシ作り、人集めなど久々の活動の機会だ。進行役も指名された。やる気十分だが、打合わせなどで緊張すると声が出ない。のどの麻痺が影響しているのか、話し始めて一定の時間が経過するまでは声が裏返ってしまう。泣いているように聞こえるらしい。急きょ、代役を頼んだ、それ以来彼は私を支えてくれている。これで少し自信が蘇ってきた。</p>
<p>その年の障害者の日、車椅子の大臣・八代英太氏を講師に記念講演会を企画した。講演依頼から会場やボランティアの手配、チラシの作成など私が中心で行った。<br />
11月の半ばから、なんとなく歩く時の不自然さを感じなくなった。夢中で動き回って、回復してきたと喜んだ。</p>
<p>記念講演は大盛況だった。終了後、控え室で「この街は君の頑張りを必要としている。障害者、高齢者に優しい街に変えないと」との指摘を受けた。「市の会場も車椅子対応ができていない、駅前が段差ばかりで、車椅子の人を一人も見なかった」と多くの宿題を与えられた。</p>
<p>街づくり、高齢者、障害者、地域支援など、さまざまな分野で活動の機会に恵まれ、休みなく各地を飛び回る日が続いた。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載</p>
<p style="text-align: right;">（次回最終回）</p>
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		<item>
		<title>No.15　体の異変</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi15.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 02:03:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

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		<description><![CDATA[７月中旬（04年）に入って、散歩の途中息切れを感じることが何度かあった。少しペースが速過ぎたかとあまり気にもしないでいた。が、その日は起きた時から心臓が苦しく息苦しさを感じ、居ても立っても居られず救急車で病院へ運ばれた。　
何年か前にも夜中に救急車で病院に担ぎ込まれたことがあった。その時は薬だけで落ち着き、すぐに帰宅を許された。詳しい説明はなく「血圧が高いので注意してください」と、確かその程度だったと記憶している。
検査の結果では心筋梗塞の兆候があり、心臓の弁から血液の逆流も確認された。さらに肺に水が３分の２以上の量溜まっていた。特に緊急は肺の水を除くことと原因究明だった。精密検査も兼ねての入院を告げられた。心臓の方は薬や治療などで抑え、肺の水は２～３日間利尿剤を投与して様子をみることになったが少なくならない。直接針をさして注射器で抜いてもすぐに溜まる。検査らしいことは１日に１回程度。
１週間目、院長の朝の定期巡回で「ご家族の方も一緒に、今後の治療方法など相談したいので、明日時間を作って欲しい」と告げられた。嫌な予感がしたので「今後のことすべてを考えなければならないから、家族と話をする前に私に先に話して欲しい」と頼んだ。
肺に水が溜まった原因として考えられるのは、大きく結核とがんの二つ。
恐れていた通りだった。肺にかなり大きい腫瘍らしい影が確認できた。「半年前は無かったのか、そんなに急激にできるものなのか」など、怒りや非難、恐怖の入り混じった言葉を矢継ぎ早にぶつけた。
『組織検査をして見なければ、悪性か良性か分かりません』
「組織検査をして悪性の場合だったら、どうするのか？」
『医師としては、通常は手術を考えます』
「何か問題がありますか」妙に冷静になっている私がいる。
『脳梗塞の原因も心臓です。血栓が出来やすい心房細動や弁のところから逆流もありますし、今回の心筋梗塞などの事もありますので、ご家族も含めてご相談をしたいと思いました』
「良性のこともあるはず、確率は50対50ですよね」
『悪性の場合は、放っておけば最悪年内という事もありえます』
「手術中の急変のリスクはないですか」と冷静に必死に「安全です、安心です」の言葉を引き出そうと食らいついた。だが、最後まで私を安心させてくれる言葉は院長の口から返って来なかった。
その夜は、さすがに眠れず、窓から街の灯りを眺めていた。真夜中だ。必死に考えようとするが、同じところで思考が止まり、また振り出しに戻る。朝まで何度も繰り返したが、遂にその先まで行き着くことはなかった。
しかし、なんとなく手術はしないと決めている。理由は分からない。確かに決めている自分に驚く。妙に冷静に死を受け容れている。否、良性だと信じ、確信しようともがいていたのかも知れない。
「東葛まいにち」2010年1月6日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>７月中旬（04年）に入って、散歩の途中息切れを感じることが何度かあった。少しペースが速過ぎたかとあまり気にもしないでいた。が、その日は起きた時から心臓が苦しく息苦しさを感じ、居ても立っても居られず救急車で病院へ運ばれた。　<span id="more-1386"></span></p>
<p>何年か前にも夜中に救急車で病院に担ぎ込まれたことがあった。その時は薬だけで落ち着き、すぐに帰宅を許された。詳しい説明はなく「血圧が高いので注意してください」と、確かその程度だったと記憶している。</p>
<p>検査の結果では心筋梗塞の兆候があり、心臓の弁から血液の逆流も確認された。さらに肺に水が３分の２以上の量溜まっていた。特に緊急は肺の水を除くことと原因究明だった。精密検査も兼ねての入院を告げられた。心臓の方は薬や治療などで抑え、肺の水は２～３日間利尿剤を投与して様子をみることになったが少なくならない。直接針をさして注射器で抜いてもすぐに溜まる。検査らしいことは１日に１回程度。</p>
<p>１週間目、院長の朝の定期巡回で「ご家族の方も一緒に、今後の治療方法など相談したいので、明日時間を作って欲しい」と告げられた。嫌な予感がしたので「今後のことすべてを考えなければならないから、家族と話をする前に私に先に話して欲しい」と頼んだ。</p>
<p>肺に水が溜まった原因として考えられるのは、大きく結核とがんの二つ。<br />
恐れていた通りだった。肺にかなり大きい腫瘍らしい影が確認できた。「半年前は無かったのか、そんなに急激にできるものなのか」など、怒りや非難、恐怖の入り混じった言葉を矢継ぎ早にぶつけた。</p>
<p>『組織検査をして見なければ、悪性か良性か分かりません』</p>
<p>「組織検査をして悪性の場合だったら、どうするのか？」</p>
<p>『医師としては、通常は手術を考えます』</p>
<p>「何か問題がありますか」妙に冷静になっている私がいる。</p>
<p>『脳梗塞の原因も心臓です。血栓が出来やすい心房細動や弁のところから逆流もありますし、今回の心筋梗塞などの事もありますので、ご家族も含めてご相談をしたいと思いました』</p>
<p>「良性のこともあるはず、確率は50対50ですよね」</p>
<p>『悪性の場合は、放っておけば最悪年内という事もありえます』</p>
<p>「手術中の急変のリスクはないですか」と冷静に必死に「安全です、安心です」の言葉を引き出そうと食らいついた。だが、最後まで私を安心させてくれる言葉は院長の口から返って来なかった。</p>
<p>その夜は、さすがに眠れず、窓から街の灯りを眺めていた。真夜中だ。必死に考えようとするが、同じところで思考が止まり、また振り出しに戻る。朝まで何度も繰り返したが、遂にその先まで行き着くことはなかった。</p>
<p>しかし、なんとなく手術はしないと決めている。理由は分からない。確かに決めている自分に驚く。妙に冷静に死を受け容れている。否、良性だと信じ、確信しようともがいていたのかも知れない。</p>
<p style="TEXT-ALIGN: right">「東葛まいにち」2010年1月6日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>No.14　命懸けの運転教習</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi14.htm</link>
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		<pubDate>Tue, 08 Dec 2009 22:00:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1245</guid>
		<description><![CDATA[海辺の店の大きな駐車場での特訓が始まった。平日の午後とあって客はまばら、駐車する車もほとんどない。
「私が助手席に乗りますから。事故になったら死ぬ確率は私のほうが高いですから」とＹに言われ、運転席に座り右足をアクセルの上に置く。
スニーカーを脱がされ、アクセルの感覚は分かる。しかし、踏み込んだつもりが踏み込めていない。足首の感覚が分からない。いすを前に出して、かかとを使い、足全体で踏み込む。アクセルから足を放すときは、障害物をまたぐように足を上げる。ブレーキは左足で踏む。これは難しくない。
こんなシミュレーションを何回も練習した。
いよいよエンジンをかける。ギアは一速、ゆっくり前進する。すぐにブレーキを踏む。アクセルの感覚が無いまま走るのは恐怖だ。脇の下や額から汗がしたたる。たかが10ｍだが、すごい経験だ。隣の彼も汗をかいている。
この日はこれだけで終わった。外の二人は、もしものときは車を止めようと、それぞれ角材を持って車の側に待機していた。病室での訓練にペダルを踏む訓練が加わった。
１カ月もすると九十九里の車のいない、波乗り道路を運転していた。命がけで助手席に乗ってくれたＹのお蔭で人生が変わった。あのまま家に閉じこもっていたら、今日の私はありえない。
３カ月で退院する頃には、ゆっくりであれば10ｍ、杖の助けがあれば途中で一休みしながら50ｍ位は歩けるようになっていた。
食事も補助箸をうまく使えるようになり、周囲の好奇な視線を気にしなければ、時間は掛かるがほとんどの物を食べられるようになっていた。声が出るようになり、会話も不明瞭な発音ながら成立している。
しかし、字を書いたりはできない。排尿、味覚、嚥下などの障害は依然として改善はしていない。
最大の収穫は自動車の運転が可能になったことだ。無事退院し、１日おきの検査通院、マッサージ、１週間ごとの免疫治療も車だ。
リハビリに付き合ってくれた３人は最後まで厳しく、熱かった。「歩行訓練は人混みの中でして下さい。人の少ない公園はダメですよ」と最後のアドバイス。
大勢の人目を意識するため、姿勢を正して足を上げて歩くようになる。ぶつからないように意識して歩くのでバランスを保つ訓練になる。脳梗塞が再発して次に倒れた時、人通りの少ない公園などでは手遅れになり、死に直結すると。
「これから先は自分の力で切り開いてください、誰も手は貸せませんから」。自分の息子のような彼らはそう言い切って病室から出て行った。
退院してからの毎週日曜日は銀座にいた。コーヒーを飲みながら、さっそうと街を歩く人を眺める。４丁目周辺を中心に歩き、疲れるとウインドウショッピングのふりをして休む。歩行者天国は最高のリハビリ空間だ。
「東葛まいにち」2009年12月9日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>海辺の店の大きな駐車場での特訓が始まった。平日の午後とあって客はまばら、駐車する車もほとんどない。</p>
<p><span id="more-1245"></span>「私が助手席に乗りますから。事故になったら死ぬ確率は私のほうが高いですから」とＹに言われ、運転席に座り右足をアクセルの上に置く。</p>
<p>スニーカーを脱がされ、アクセルの感覚は分かる。しかし、踏み込んだつもりが踏み込めていない。足首の感覚が分からない。いすを前に出して、かかとを使い、足全体で踏み込む。アクセルから足を放すときは、障害物をまたぐように足を上げる。ブレーキは左足で踏む。これは難しくない。</p>
<p>こんなシミュレーションを何回も練習した。</p>
<p>いよいよエンジンをかける。ギアは一速、ゆっくり前進する。すぐにブレーキを踏む。アクセルの感覚が無いまま走るのは恐怖だ。脇の下や額から汗がしたたる。たかが10ｍだが、すごい経験だ。隣の彼も汗をかいている。</p>
<p>この日はこれだけで終わった。外の二人は、もしものときは車を止めようと、それぞれ角材を持って車の側に待機していた。病室での訓練にペダルを踏む訓練が加わった。</p>
<p>１カ月もすると九十九里の車のいない、波乗り道路を運転していた。命がけで助手席に乗ってくれたＹのお蔭で人生が変わった。あのまま家に閉じこもっていたら、今日の私はありえない。</p>
<p>３カ月で退院する頃には、ゆっくりであれば10ｍ、杖の助けがあれば途中で一休みしながら50ｍ位は歩けるようになっていた。</p>
<p>食事も補助箸をうまく使えるようになり、周囲の好奇な視線を気にしなければ、時間は掛かるがほとんどの物を食べられるようになっていた。声が出るようになり、会話も不明瞭な発音ながら成立している。</p>
<p>しかし、字を書いたりはできない。排尿、味覚、嚥下などの障害は依然として改善はしていない。</p>
<p>最大の収穫は自動車の運転が可能になったことだ。無事退院し、１日おきの検査通院、マッサージ、１週間ごとの免疫治療も車だ。</p>
<p>リハビリに付き合ってくれた３人は最後まで厳しく、熱かった。「歩行訓練は人混みの中でして下さい。人の少ない公園はダメですよ」と最後のアドバイス。</p>
<p>大勢の人目を意識するため、姿勢を正して足を上げて歩くようになる。ぶつからないように意識して歩くのでバランスを保つ訓練になる。脳梗塞が再発して次に倒れた時、人通りの少ない公園などでは手遅れになり、死に直結すると。</p>
<p>「これから先は自分の力で切り開いてください、誰も手は貸せませんから」。自分の息子のような彼らはそう言い切って病室から出て行った。</p>
<p>退院してからの毎週日曜日は銀座にいた。コーヒーを飲みながら、さっそうと街を歩く人を眺める。４丁目周辺を中心に歩き、疲れるとウインドウショッピングのふりをして休む。歩行者天国は最高のリハビリ空間だ。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年12月9日号掲載</p>
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		<item>
		<title>No.13　意外な提案</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi13.htm</link>
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		<pubDate>Tue, 10 Nov 2009 22:00:05 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1111</guid>
		<description><![CDATA[虐待？拷問？そんな日が続いた。２週間経ったある日、突然「外に昼飯を食べに行きます」と車椅子が運ばれてきた。
着替えにと、ジーパンとスニーカーとＴシャツを渡された。前開きのパジャマなら着替えられるが、まだＴシャツに着替えたことがない。どうやって着替えるか試されている。左手を使って、麻痺している右手を袖に通すと、楽に着替えられた。
寿司屋の前に着き「さぁ、立って歩いてください」。といっても、手を貸してもくれなければ、杖も無い。10歩もない距離だが、一瞬立ち尽くしてしまった。それでも独りで17歩目に敷居をまたぎ、やっとの思いで、カウンターの前にたどりついた。
なんと用意されていたのは「ちらし寿司」。箸なんか使えるはずが無いのに。すると、若いＷがもぞもぞと細い棒状のはさみのようなものをカウンターに置いた。スプリングが付いている。箸の補助具だと直感で分かった。ここまできてリハビリかと怒り半分、情けなさ半分、しかしここは我慢だ。30分もかからず食べ終わった。味は分からなくても、目は十分に楽しんだ。
これを機会に、リハビリのある日は外での昼食が恒例になった。しかしいつも箸を使うメニューしか頼んでくれない。そば屋、ラーメン屋、とんかつ屋、定食屋、ファミリーレストランなどへ通い続けた。
食べ物を飲み込む時にのどに違和感があることに自分でも気が付いた。水やコーヒーなどを飲むと、むせる事が何度かあったが、普通の食事を飲み込む時はかなりむせる。
のどにも麻痺があるのだ（そのためか、現在でも声を出して歌が歌えない）。嚥下障害（飲み込む力が弱い）、があるので咀しゃく回数を増やす必要を指摘された。これは今も習慣になって続いている。
リハビリが始まって約１カ月後、ドライブに出掛けた。着いた先は九十九里海岸、昼食後に地獄の扉が開いた。砂浜の散歩・歩行訓練が始まった。砂浜は傾斜がある、凸凹もある、室内や道路と違い下が柔らかで不安定、砂に足が沈み、バランスがとれない。
20m位の距離を何往復もする。たったこれだけの距離を大きく肩で息をしながら３～４回休み、同じ回数だけよろめき、手を借りて歩く。全身汗びっしょりだ。その後、九十九里には毎週くる羽目になってしまったが、この浜辺での歩行訓練は後々街中を歩く時に大いに役立ってくれた。
　「これからは電車での移動は難しくなりますね。車を運転して、積極的に外へ出て、新しい生き方を見つけないと」。リーダー格のＹは自動車の運転の練習を提案してきた。考えてもいなかったことだ。
意識が戻った私に、院長が最初に言った言葉「元の体に戻るのは難しい、問題を抱えた体とうまく付き合っていかないとダメですよ」を思い出した。
「東葛まいにち」2009年11月11日号掲載
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			<content:encoded><![CDATA[<p>虐待？拷問？そんな日が続いた。２週間経ったある日、突然「外に昼飯を食べに行きます」と車椅子が運ばれてきた。</p>
<p><span id="more-1111"></span>着替えにと、ジーパンとスニーカーとＴシャツを渡された。前開きのパジャマなら着替えられるが、まだＴシャツに着替えたことがない。どうやって着替えるか試されている。左手を使って、麻痺している右手を袖に通すと、楽に着替えられた。</p>
<p>寿司屋の前に着き「さぁ、立って歩いてください」。といっても、手を貸してもくれなければ、杖も無い。10歩もない距離だが、一瞬立ち尽くしてしまった。それでも独りで17歩目に敷居をまたぎ、やっとの思いで、カウンターの前にたどりついた。</p>
<p>なんと用意されていたのは「ちらし寿司」。箸なんか使えるはずが無いのに。すると、若いＷがもぞもぞと細い棒状のはさみのようなものをカウンターに置いた。スプリングが付いている。箸の補助具だと直感で分かった。ここまできてリハビリかと怒り半分、情けなさ半分、しかしここは我慢だ。30分もかからず食べ終わった。味は分からなくても、目は十分に楽しんだ。</p>
<p>これを機会に、リハビリのある日は外での昼食が恒例になった。しかしいつも箸を使うメニューしか頼んでくれない。そば屋、ラーメン屋、とんかつ屋、定食屋、ファミリーレストランなどへ通い続けた。</p>
<p>食べ物を飲み込む時にのどに違和感があることに自分でも気が付いた。水やコーヒーなどを飲むと、むせる事が何度かあったが、普通の食事を飲み込む時はかなりむせる。</p>
<p>のどにも麻痺があるのだ（そのためか、現在でも声を出して歌が歌えない）。嚥下障害（飲み込む力が弱い）、があるので咀しゃく回数を増やす必要を指摘された。これは今も習慣になって続いている。</p>
<p>リハビリが始まって約１カ月後、ドライブに出掛けた。着いた先は九十九里海岸、昼食後に地獄の扉が開いた。砂浜の散歩・歩行訓練が始まった。砂浜は傾斜がある、凸凹もある、室内や道路と違い下が柔らかで不安定、砂に足が沈み、バランスがとれない。</p>
<p>20m位の距離を何往復もする。たったこれだけの距離を大きく肩で息をしながら３～４回休み、同じ回数だけよろめき、手を借りて歩く。全身汗びっしょりだ。その後、九十九里には毎週くる羽目になってしまったが、この浜辺での歩行訓練は後々街中を歩く時に大いに役立ってくれた。</p>
<p>　「これからは電車での移動は難しくなりますね。車を運転して、積極的に外へ出て、新しい生き方を見つけないと」。リーダー格のＹは自動車の運転の練習を提案してきた。考えてもいなかったことだ。</p>
<p>意識が戻った私に、院長が最初に言った言葉「元の体に戻るのは難しい、問題を抱えた体とうまく付き合っていかないとダメですよ」を思い出した。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年11月11日号掲載</p>
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		<title>No.12　ハードな１日</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi12.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 14 Oct 2009 02:08:59 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=874</guid>
		<description><![CDATA[それほど汗をかいた訳でもないのに、そのままシャワーをすることになった。爽快な気分を期待した。
しかし、ただのシャワーではなかった。少し熱めだったり、ぬるめだったり、冷たかったりとシャワーの温度を変え交互に20分以上。これも外から筋肉に刺激を与えるリハビリだった。
午後からはバランスボールに座り、腰を浮かせたり、左右に体を移動させたりした。これも何回も倒れ、彼らの手で支えられた。ボールに座って「ああ、うう」の発声練習も繰り返した。
この時間になると、腹筋や背筋、手足の筋肉が張り、動く度に苦痛を感じるようになってきた。
杖で体を支え、画用紙で作った三角柱を右足で潰したり、またいだりする。これの繰り返しだ。
左足で体を支え右足を上げ三角柱を踏む。ＹもＦもＷも真剣そのもの。若いＷは私の前でレスリングの構えのように腰を落としている。「倒れてもしっかり受け止めます、安心してください」の姿勢だ。何度もぐらついて倒れるが、彼らの手で支えられた。しかし彼らは常に床の近くギリギリでしか手を出さない。数回、床や壁にぶつかった。
後日、私はこの三角柱またぎ・潰しを訪問した施設などで実践してみせ、リハビリに消極的な人に勧め、動機付けとして効果があったと喜ばれた。
両脇を支えてもらい、両足の屈伸運動をする。浅く軽くと指示されたが、これは健常者でもきつい。普段から運動をしていれば可能でも、運動は何もしていない鈍った体に50回はハード過ぎる。今日は懇願して、朝から途中で何回も休ませてもらった。
最後のシャワーが済むとベッドに倒れこむ。これが週４回のペースで３月末まで続くと思うと、逃げ腰になる。
「東葛まいにち」2009年10月14日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>それほど汗をかいた訳でもないのに、そのままシャワーをすることになった。爽快な気分を期待した。</p>
<p>しかし、ただのシャワーではなかった。少し熱めだったり、ぬるめだったり、冷たかったりとシャワーの温度を変え交互に20分以上。これも外から筋肉に刺激を与えるリハビリだった。</p>
<p><span id="more-874"></span>午後からはバランスボールに座り、腰を浮かせたり、左右に体を移動させたりした。これも何回も倒れ、彼らの手で支えられた。ボールに座って「ああ、うう」の発声練習も繰り返した。</p>
<p>この時間になると、腹筋や背筋、手足の筋肉が張り、動く度に苦痛を感じるようになってきた。</p>
<p>杖で体を支え、画用紙で作った三角柱を右足で潰したり、またいだりする。これの繰り返しだ。<br />
左足で体を支え右足を上げ三角柱を踏む。ＹもＦもＷも真剣そのもの。若いＷは私の前でレスリングの構えのように腰を落としている。「倒れてもしっかり受け止めます、安心してください」の姿勢だ。何度もぐらついて倒れるが、彼らの手で支えられた。しかし彼らは常に床の近くギリギリでしか手を出さない。数回、床や壁にぶつかった。</p>
<p>後日、私はこの三角柱またぎ・潰しを訪問した施設などで実践してみせ、リハビリに消極的な人に勧め、動機付けとして効果があったと喜ばれた。</p>
<p>両脇を支えてもらい、両足の屈伸運動をする。浅く軽くと指示されたが、これは健常者でもきつい。普段から運動をしていれば可能でも、運動は何もしていない鈍った体に50回はハード過ぎる。今日は懇願して、朝から途中で何回も休ませてもらった。</p>
<p>最後のシャワーが済むとベッドに倒れこむ。これが週４回のペースで３月末まで続くと思うと、逃げ腰になる。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年10月14日号掲載</p>
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		<item>
		<title>No.11　さまざまなリハビリ</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi11.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi11.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 11 Aug 2009 22:00:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

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		<description><![CDATA[３人組は、テニスボールを握って指を広げたり、指先をハンドグリップに引っ掛けて指先を開かせたりすることを１日１時間、Ｂ型ダンベルを左手で３００回（筋力アップ）のノルマを課して帰った。

その他に暇な時間は指を組んで絶えず左で右の手首を屈伸させながら、指の付け根を締め付けるのも効果的と言われ、現在も続けている。
２回目のリハビリの日、画用紙で作った三角柱状の筒と杖を持ってきた。やることは前回と同じ、ベッドの端に座った状態で両方から突き飛ばされ、床に着けた足で踏ん張ってバランスを保つ。前回よりもかなり荒っぽく力も加えられている感じだ。
何度もバランスを崩し後ろや左右に倒れてしまう。
次はその位置で立ち上がる練習。左の手足だけで立ち上がり、左足だけに体重をかけて立つ。横から前から突かれると倒れる。重心を体の中心に移動させても、押されると倒れてしまう。同じことを30分以上繰り返す。
杖が出てきた、まひしている右腕を体に密着させ、杖を握らせた。横から押されたが、微妙にバランスの崩れ方が違う。杖が支えになっている感覚が分かる。
何度も繰り返すといくつかのことが分かってきた。腕が体から離れると支えられなくなること、手のひらの中の杖の位置が変わると支える力が違うこと、そして左足のつま先の向きも支えになっていることなども。
次は壁に倒れる練習。前回は左手だけで支えたが、今日は両手、右手（ひじを曲げ腕を胸の前で構える）で支える。右手の場合、左手を補助的に出して壁に顔がぶつかるのをカバーする。
右手で倒れるのはかなり怖い。思わず左手が先に出てしまう。何度か右手で支えられたが、体に右手にひじのあざが残っていた。これだけで昼になってしまう。
「東葛まいにち」2009年8月12日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>３人組は、テニスボールを握って指を広げたり、指先をハンドグリップに引っ掛けて指先を開かせたりすることを１日１時間、Ｂ型ダンベルを左手で３００回（筋力アップ）のノルマを課して帰った。</p>
<p><span id="more-574"></span></p>
<p>その他に暇な時間は指を組んで絶えず左で右の手首を屈伸させながら、指の付け根を締め付けるのも効果的と言われ、現在も続けている。</p>
<p>２回目のリハビリの日、画用紙で作った三角柱状の筒と杖を持ってきた。やることは前回と同じ、ベッドの端に座った状態で両方から突き飛ばされ、床に着けた足で踏ん張ってバランスを保つ。前回よりもかなり荒っぽく力も加えられている感じだ。</p>
<p>何度もバランスを崩し後ろや左右に倒れてしまう。</p>
<p>次はその位置で立ち上がる練習。左の手足だけで立ち上がり、左足だけに体重をかけて立つ。横から前から突かれると倒れる。重心を体の中心に移動させても、押されると倒れてしまう。同じことを30分以上繰り返す。</p>
<p>杖が出てきた、まひしている右腕を体に密着させ、杖を握らせた。横から押されたが、微妙にバランスの崩れ方が違う。杖が支えになっている感覚が分かる。</p>
<p>何度も繰り返すといくつかのことが分かってきた。腕が体から離れると支えられなくなること、手のひらの中の杖の位置が変わると支える力が違うこと、そして左足のつま先の向きも支えになっていることなども。</p>
<p>次は壁に倒れる練習。前回は左手だけで支えたが、今日は両手、右手（ひじを曲げ腕を胸の前で構える）で支える。右手の場合、左手を補助的に出して壁に顔がぶつかるのをカバーする。</p>
<p>右手で倒れるのはかなり怖い。思わず左手が先に出てしまう。何度か右手で支えられたが、体に右手にひじのあざが残っていた。これだけで昼になってしまう。</p>
<p align="right">「東葛まいにち」2009年8月12日号掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>10　必死で声を出す</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi10.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 10 Jun 2009 02:10:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://210.198.3.181/?p=232</guid>
		<description><![CDATA[現役の学生・Ｗは２人の助手の他に、重要な役目を担っていた。声を出すトレーニングが彼の担当だ。
それにしても医学的とは言えない方法だ。応援団がやる、腹から絞り出し、のどを潰すやり方で「あああ、ううう」を練習させられる。ア行から順番に出していく、しかしどれも同じようで微妙に違う発声になっている。

これだけを30分以上だ。のどが痛い。しかし、Ｗは一切妥協しない。最後の決まり文句は「私が先輩から殴られますから、お願いします」これには勝てない。
彼ら３人は「先輩達から『アイツは殺すわけにはいかないから』『歩き回れるように回復させろ』と言われて来ているので我慢して下さい。お願いします」と言う。殺し文句だ。私の弱いところをしっかり抑えられてしまった。
一日目は何とかあえぎあえぎ予定を終了した。
これが地獄のリハビリの入り口だった。1週間も2週間もこの訓練だけを続けるとのことだ。危険を伴うので、自分一人ではやらないで下さいと強く止められた。
社員２人を病室に呼んで今後の打ち合わせをする。と言っても、本人達の考えている事を聴いてイエス・ノーの判断をするだけだ、取りあえず３カ月間は役所の入札は厳しいので無理な競争はしないこと、後は全部任せ、報告はメールでいいとした。
会社のノートパソコンを病室に持ってくるように頼む。入院中にパソコンを多少使えるようにしたいと考えたからだ。このまま言葉が不自由な場合を考えての事だ。インターネットでの検索や、ワードを使いメールでのコミュニケーション、左手だけでも出来るよう練習だ。
３人組が来ない日は病院の理学療法士が右手の指先に集中して開いたり握ったりの繰り返しのリハビリをしてくれた。
「東葛まいにち」2009年6月10日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>現役の学生・Ｗは２人の助手の他に、重要な役目を担っていた。声を出すトレーニングが彼の担当だ。</p>
<p>それにしても医学的とは言えない方法だ。応援団がやる、腹から絞り出し、のどを潰すやり方で「あああ、ううう」を練習させられる。ア行から順番に出していく、しかしどれも同じようで微妙に違う発声になっている。</p>
<p><span id="more-232"></span></p>
<p>これだけを30分以上だ。のどが痛い。しかし、Ｗは一切妥協しない。最後の決まり文句は「私が先輩から殴られますから、お願いします」これには勝てない。</p>
<p>彼ら３人は「先輩達から『アイツは殺すわけにはいかないから』『歩き回れるように回復させろ』と言われて来ているので我慢して下さい。お願いします」と言う。殺し文句だ。私の弱いところをしっかり抑えられてしまった。</p>
<p>一日目は何とかあえぎあえぎ予定を終了した。<br />
これが地獄のリハビリの入り口だった。1週間も2週間もこの訓練だけを続けるとのことだ。危険を伴うので、自分一人ではやらないで下さいと強く止められた。</p>
<p>社員２人を病室に呼んで今後の打ち合わせをする。と言っても、本人達の考えている事を聴いてイエス・ノーの判断をするだけだ、取りあえず３カ月間は役所の入札は厳しいので無理な競争はしないこと、後は全部任せ、報告はメールでいいとした。</p>
<p>会社のノートパソコンを病室に持ってくるように頼む。入院中にパソコンを多少使えるようにしたいと考えたからだ。このまま言葉が不自由な場合を考えての事だ。インターネットでの検索や、ワードを使いメールでのコミュニケーション、左手だけでも出来るよう練習だ。</p>
<p>３人組が来ない日は病院の理学療法士が右手の指先に集中して開いたり握ったりの繰り返しのリハビリをしてくれた。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年6月10日号掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>9　いよいよリハビリ開始</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi09.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/inochi/inochi09.htm#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 13 May 2009 02:08:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[今ここに在る命]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://210.198.3.181/?p=230</guid>
		<description><![CDATA[何だか分からない内にリハビリは始まった。右手の指をこじ開けてテニスボールをもたせ、手首にリストバンド、足首にアンクルリストをつけられた。これで体を移動させベッドの端まできて、座り両足を床につけるように指示される。

左の手足を使えば移動は難しくはない。左手のひじを軸に体をまわせば座るのも難しくはない。
右足も左手で持ち上げて降ろせた、しかしこれはあくまで準備動作でしかなかった。
次は立ち上がる様に指示が来た。何もつかまるところが無い。立てない。ベッドの高さも一番下まで下げられていた。何度試しても立てない。左足の位置を変えて挑戦するが立てそうにない。
正面からＦが手を差し伸べてくれた。それにつかまり立ち上がる、しかし引っ張ってはくれない。
固定されたポールだと力が入り立ち上がれるのが簡単そうだが、人の差し出した手ではなかなか力の掛け方が分からない。
そんなことを30分間、何度も繰り返すが、立ち上がれなかった。
次は立ち上がった状態で右肩と左肩を交互に押される。当然足の踏ん張りが効かず、バランスを崩し倒れる。左右に、後ろにそして前に。それを３人がかなり倒れたポイントで支え受け止めてくれる。
次は壁に向かって左手が届く位に立ち、壁に向かって倒れ、顔がぶつからないよう左手で支える、強く突っ張ると後ろに倒れそうになる。それは後ろで３人が支えてくれる。これの繰り返しだった。　どこにどんな刺激がいき、どんな効果があるのか皆目見当もつかない。ただ言われたことを黙々とこなしていくだけだ。
午後になると体中の筋肉、特に背中から左足はパンパンに張っていた。立っているだけでかなりキツイ。
しかし文句は言えない。２回も抱えてトイレに連れて行ってくれたのだから。
「東葛まいにち」2009年5月13日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>何だか分からない内にリハビリは始まった。右手の指をこじ開けてテニスボールをもたせ、手首にリストバンド、足首にアンクルリストをつけられた。これで体を移動させベッドの端まできて、座り両足を床につけるように指示される。</p>
<p><span id="more-230"></span></p>
<p>左の手足を使えば移動は難しくはない。左手のひじを軸に体をまわせば座るのも難しくはない。</p>
<p>右足も左手で持ち上げて降ろせた、しかしこれはあくまで準備動作でしかなかった。</p>
<p>次は立ち上がる様に指示が来た。何もつかまるところが無い。立てない。ベッドの高さも一番下まで下げられていた。何度試しても立てない。左足の位置を変えて挑戦するが立てそうにない。</p>
<p>正面からＦが手を差し伸べてくれた。それにつかまり立ち上がる、しかし引っ張ってはくれない。</p>
<p>固定されたポールだと力が入り立ち上がれるのが簡単そうだが、人の差し出した手ではなかなか力の掛け方が分からない。</p>
<p>そんなことを30分間、何度も繰り返すが、立ち上がれなかった。</p>
<p>次は立ち上がった状態で右肩と左肩を交互に押される。当然足の踏ん張りが効かず、バランスを崩し倒れる。左右に、後ろにそして前に。それを３人がかなり倒れたポイントで支え受け止めてくれる。</p>
<p>次は壁に向かって左手が届く位に立ち、壁に向かって倒れ、顔がぶつからないよう左手で支える、強く突っ張ると後ろに倒れそうになる。それは後ろで３人が支えてくれる。これの繰り返しだった。　どこにどんな刺激がいき、どんな効果があるのか皆目見当もつかない。ただ言われたことを黙々とこなしていくだけだ。</p>
<p>午後になると体中の筋肉、特に背中から左足はパンパンに張っていた。立っているだけでかなりキツイ。<br />
しかし文句は言えない。２回も抱えてトイレに連れて行ってくれたのだから。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年5月13日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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