<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>東葛まいにち &#187; 思春期ブルー</title>
	<atom:link href="http://www.bunya.ne.jp/category/rensai/shishunki/feed" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>http://www.bunya.ne.jp</link>
	<description></description>
	<lastBuildDate>Fri, 16 Jul 2010 01:09:25 +0000</lastBuildDate>
	<generator>http://wordpress.org/?v=2.9.1</generator>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
			<item>
		<title>思春期ブルー一覧</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki_top.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki_top.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 21:01:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://210.198.3.181/?p=182</guid>
		<description><![CDATA[
小児科医　北島晴夫
あいあいキッズ院長
思春期は、大人になる課程で誰もが通る道。
心身ともに成長する時期ゆえに、いわゆる“思春期病”といわれる特有の症状が現れます。
思春期外来も開いていらっしゃる北島先生から、親のありかたや子どもへの接し方など、難しい時期を乗り切るためのアドバイスをいただきます。
適切な対応をとることで、本人も親もずっと楽になれますよ。
『東葛まいにち』で好評連載中！
北島先生のホームページ
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="size-full wp-image-25  alignleft" title="思春期ブルー" src="http://210.198.3.181/images/2009/07/shishuki_title.gif" alt="思春期ブルー" width="247" height="42" /></p>
<p>小児科医　北島晴夫<br />
あいあいキッズ院長</p>
<p>思春期は、大人になる課程で誰もが通る道。<br />
心身ともに成長する時期ゆえに、いわゆる“思春期病”といわれる特有の症状が現れます。<br />
思春期外来も開いていらっしゃる北島先生から、親のありかたや子どもへの接し方など、難しい時期を乗り切るためのアドバイスをいただきます。<br />
適切な対応をとることで、本人も親もずっと楽になれますよ。</p>
<p><strong>『東葛まいにち』</strong>で好評連載中！</p>
<div id="attachment_29" class="wp-caption alignleft" style="width: 210px"><a href="http://www.hi-ho.ne.jp/haruo-kitajima/greenindex.html" target="_blank"><img class="size-full wp-image-29 " title="あいあいキッズクリニック" src="http://210.198.3.181/images/2009/07/shishunki_banner.jpg" alt="北島先生のホームページ" width="200" height="64" /></a><p class="wp-caption-text">北島先生のホームページ</p></div>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki_top.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.153　我慢</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki153.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki153.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 21:00:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=2513</guid>
		<description><![CDATA[　親が子どもに対して、〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ Ｓ Ｄ ＫＳ）〟ことは、思春期病対策として有効ですが、主眼は、子どもに親の信じる心を映すこと。　
〝信じる〟の意味については、子どもはそれぞれに正しい価値観をもって行動していると認めること、と定義しています。認めるのであれば、余分な干渉、介入は無用となる理屈です。
本来は〝信じる〟だけで十分ですが、実際にどうすればよいのか分かりにくいので、より具体的な方法として〝黙る、聴く、すべて任せる〟を加えています。
ＳＤＫＳを実行するに当って、多くの方が難しいと訴えるのが〝黙る〟です。
黙るコツについて少し書いておきます。　まずは、黙ろうと決意しますが、多少我慢をしてでも黙ることに集中します。
もちろん、黙っているつもりでも黙れている訳はないので、逆に、どんな言葉をどのくらいしゃべっているかに気づくことが大切です。
要するに、（黙る！）と決意しつつも、ついしゃべってしまう言葉を探し続ける、といった感じです。
当然、（あっ、言っちゃった）という場面に多く遭遇するでしょうが、初心のうちは、（あっ、言っちゃった）と気づいただけで大進歩と思ってください。過去には、しゃべりながら何の不思議も感じないでいた言葉だったのですから。
我慢とはいえ、黙る努力をしているからできる発見なのです。
もちろん発見だけでは進歩しませんから、（こんな言葉は２度としゃべりたくない！）と、その度に自分に言い聞かせます。
その時大切なのは、けっして自分を責めないこと。なかば癖になっている〝しゃべり〟を止めようというのですから、一朝一夕に叶うことではありません。
何度失敗してしゃべってしまっても、気づき、反省を忘れず、執拗に黙る我慢を続けてゆくと、やがて、ついしゃべることがうそのように消えてゆきます。　
「黙っていることが、しゃべることよりもこんなに楽なことだとは思いませんでした。黙っていても子どもは、ほとんどこちらの思いにそった行動しかしないんですね」
　次回は「懸案化」。
「東葛まいにち」2010年7月14日号掲載
 
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　親が子どもに対して、〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ Ｓ Ｄ ＫＳ）〟ことは、思春期病対策として有効ですが、主眼は、子どもに親の信じる心を映すこと。　</p>
<p><span id="more-2513"></span>〝信じる〟の意味については、子どもはそれぞれに正しい価値観をもって行動していると認めること、と定義しています。認めるのであれば、余分な干渉、介入は無用となる理屈です。</p>
<p>本来は〝信じる〟だけで十分ですが、実際にどうすればよいのか分かりにくいので、より具体的な方法として〝黙る、聴く、すべて任せる〟を加えています。</p>
<p>ＳＤＫＳを実行するに当って、多くの方が難しいと訴えるのが〝黙る〟です。</p>
<p>黙るコツについて少し書いておきます。　まずは、黙ろうと決意しますが、多少我慢をしてでも黙ることに集中します。</p>
<p>もちろん、黙っているつもりでも黙れている訳はないので、逆に、どんな言葉をどのくらいしゃべっているかに気づくことが大切です。</p>
<p>要するに、（黙る！）と決意しつつも、ついしゃべってしまう言葉を探し続ける、といった感じです。</p>
<p>当然、（あっ、言っちゃった）という場面に多く遭遇するでしょうが、初心のうちは、（あっ、言っちゃった）と気づいただけで大進歩と思ってください。過去には、しゃべりながら何の不思議も感じないでいた言葉だったのですから。</p>
<p>我慢とはいえ、黙る努力をしているからできる発見なのです。</p>
<p>もちろん発見だけでは進歩しませんから、（こんな言葉は２度としゃべりたくない！）と、その度に自分に言い聞かせます。</p>
<p>その時大切なのは、けっして自分を責めないこと。なかば癖になっている〝しゃべり〟を止めようというのですから、一朝一夕に叶うことではありません。</p>
<p>何度失敗してしゃべってしまっても、気づき、反省を忘れず、執拗に黙る我慢を続けてゆくと、やがて、ついしゃべることがうそのように消えてゆきます。　</p>
<p>「黙っていることが、しゃべることよりもこんなに楽なことだとは思いませんでした。黙っていても子どもは、ほとんどこちらの思いにそった行動しかしないんですね」</p>
<p>　次回は「懸案化」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年7月14日号掲載</p>
<p style="text-align: right;"> </p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki153.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.152　注意</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki152.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki152.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 08 Jun 2010 21:30:47 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=2311</guid>
		<description><![CDATA[思春期病への対応として、親が黙ることの重要性を強調していますが、頭では理解できるのに、言葉が先に出てしまう、と悩まれる方は意外に多いものです。

「まだ、しゃべっているようですね」
「注意しているつもりなんですが、ついしゃべってしまいます」
「なぜしゃべってしまうか分かりますか？」
「やはり、注意が足りないからだと思います」
自分の大切な子どもが思春期の迷路に迷い、身動きがとれなくなったのをみて（なんとかしなくては）と思わない親はいません。
そこに、黙ることが有効である、と聞きつければ、なんとか黙れないものかと考えるのが親ですし、普段とはちがう注意を払ってでも黙ろうとするでしょう。
それでも、ついしゃべってしまう理由は何でしょうか？
親の、子どもを管理・支配したい欲望によるもの、という説明も可能ですが、私たちの行動のほとんどを制御している脳の仕業、と考えることもできます。
脳は、過去の好ましかった経験、心地よかった記憶などを参照しつつ、似たような行動を繰り返えそうとする習性をもっており、過去と似た状況になると、本人の考えが及ぶ前に、過去の経験・記憶を探って、よい結果を招いたと思われる行動をさっさと指令してしまうのです。
つい・・・、あるいは、いつのまにか・・・、という行動のほとんどは、このパターンで起こります。
ですから〝つい・いつのまにか行動〟は、もともと注意をかいくぐる性質のものなので、（今度こそ注意しよう）という反省ではなかなか止まらないのです。
〝つい・いつのまにか行動〟は、いわば習性ですから、気づくたびに（これは失敗！不快なこと！）と心の中で、あるいは口に出して確認し続けていると、次第に、その姿勢が記憶の領域に焼きついて、脳の習性に変化が起こるという理屈です。
そのためには、自分の言動には常にチェックを入れ、ＳＤＫＳと合わないものにはダメ出し続けるくらいの姿勢と注意が必要です。
次回は「我慢」

「東葛まいにち」2010年6月9日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>思春期病への対応として、親が黙ることの重要性を強調していますが、頭では理解できるのに、言葉が先に出てしまう、と悩まれる方は意外に多いものです。</p>
<p><span id="more-2311"></span><br />
「まだ、しゃべっているようですね」<br />
「注意しているつもりなんですが、ついしゃべってしまいます」<br />
「なぜしゃべってしまうか分かりますか？」<br />
「やはり、注意が足りないからだと思います」</p>
<p>自分の大切な子どもが思春期の迷路に迷い、身動きがとれなくなったのをみて（なんとかしなくては）と思わない親はいません。</p>
<p>そこに、黙ることが有効である、と聞きつければ、なんとか黙れないものかと考えるのが親ですし、普段とはちがう注意を払ってでも黙ろうとするでしょう。</p>
<p>それでも、ついしゃべってしまう理由は何でしょうか？<br />
親の、子どもを管理・支配したい欲望によるもの、という説明も可能ですが、私たちの行動のほとんどを制御している脳の仕業、と考えることもできます。</p>
<p>脳は、過去の好ましかった経験、心地よかった記憶などを参照しつつ、似たような行動を繰り返えそうとする習性をもっており、過去と似た状況になると、本人の考えが及ぶ前に、過去の経験・記憶を探って、よい結果を招いたと思われる行動をさっさと指令してしまうのです。</p>
<p>つい・・・、あるいは、いつのまにか・・・、という行動のほとんどは、このパターンで起こります。<br />
ですから〝つい・いつのまにか行動〟は、もともと注意をかいくぐる性質のものなので、（今度こそ注意しよう）という反省ではなかなか止まらないのです。</p>
<p>〝つい・いつのまにか行動〟は、いわば習性ですから、気づくたびに（これは失敗！不快なこと！）と心の中で、あるいは口に出して確認し続けていると、次第に、その姿勢が記憶の領域に焼きついて、脳の習性に変化が起こるという理屈です。</p>
<p>そのためには、自分の言動には常にチェックを入れ、ＳＤＫＳと合わないものにはダメ出し続けるくらいの姿勢と注意が必要です。</p>
<p>次回は「我慢」</p>
<p style="text-align: right;">
「東葛まいにち」2010年6月9日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki152.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.151　思い</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki151.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki151.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 11 May 2010 22:00:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=2121</guid>
		<description><![CDATA[当思春期外来で、思春期病への具体的な対応法としてお勧めしている〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟のうち軸となるのは〝信じる〟ですが、ぼんやり〝信じる〟と言われても、どうすることなのか今一歩はっきりしません。
当外来では〝信じる〟とは、「他者の価値観を、たとえ自分とは異なっていても、それはそれとして正しいと認めようとする思い」と定義しています。
はっきりと、「・・・正しいと認めること」とせずに、「・・と認めようとする思い」とした理由は、「認めること」としてしまうと、途端に実行困難なことになってしまうからです。
所詮は、我欲のかたまりである我々にできることには限界があり、思いをもつ程度が妥当なところでしょう。
思いをもつだけで効果が期待できるのか、という疑問も生まれますが、思い続けることができれば十分な効果を期待できます。　ただし、思い続けているといいながら、実は、思い続けている気分だけであることも珍しいことではありません。
実効のある〝思い続け〟を行うためには、自分の言動のすべてについて、思いからはずれたものがないかどうか点検し続ける必要があります。
言い方を変えるなら、思い続けるとは、自分の言動をいつも点検し、思いと異なる言動には〝間違っている〟というレッテルを貼り続ける作業と言えます。
（手助けをしてしまったが、子どもを認める行動とはいえない）
（ちょっとした提案をしたが、親の価値観の押しつけでしかなかった）
（子どもの行動をほめたが、所詮は親の価値観での評価に過ぎない）
　こんな風に、自分の言動に〝間違っている〟レッテルをはり続けることは、頭の中にいつも〝信じる〟や〝認める〟思いがあって初めてできることです。
思い続けることが有効な理由は、本気で思い続けることは、そのまま相手の心に響くものだから。「心は鏡」のルール通り、（認めたい）という思いは、子どもに〝信じる〟思いとして伝わります。
次回は、「注意」
「東葛まいにち」2010年5月12日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>当思春期外来で、思春期病への具体的な対応法としてお勧めしている〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟のうち軸となるのは〝信じる〟ですが、ぼんやり〝信じる〟と言われても、どうすることなのか今一歩はっきりしません。</p>
<p><span id="more-2121"></span>当外来では〝信じる〟とは、「他者の価値観を、たとえ自分とは異なっていても、それはそれとして正しいと認めようとする思い」と定義しています。</p>
<p>はっきりと、「・・・正しいと認めること」とせずに、「・・と認めようとする思い」とした理由は、「認めること」としてしまうと、途端に実行困難なことになってしまうからです。</p>
<p>所詮は、我欲のかたまりである我々にできることには限界があり、思いをもつ程度が妥当なところでしょう。</p>
<p>思いをもつだけで効果が期待できるのか、という疑問も生まれますが、思い続けることができれば十分な効果を期待できます。　ただし、思い続けているといいながら、実は、思い続けている気分だけであることも珍しいことではありません。</p>
<p>実効のある〝思い続け〟を行うためには、自分の言動のすべてについて、思いからはずれたものがないかどうか点検し続ける必要があります。</p>
<p>言い方を変えるなら、思い続けるとは、自分の言動をいつも点検し、思いと異なる言動には〝間違っている〟というレッテルを貼り続ける作業と言えます。</p>
<p>（手助けをしてしまったが、子どもを認める行動とはいえない）<br />
（ちょっとした提案をしたが、親の価値観の押しつけでしかなかった）<br />
（子どもの行動をほめたが、所詮は親の価値観での評価に過ぎない）</p>
<p>　こんな風に、自分の言動に〝間違っている〟レッテルをはり続けることは、頭の中にいつも〝信じる〟や〝認める〟思いがあって初めてできることです。</p>
<p>思い続けることが有効な理由は、本気で思い続けることは、そのまま相手の心に響くものだから。「心は鏡」のルール通り、（認めたい）という思いは、子どもに〝信じる〟思いとして伝わります。</p>
<p style="text-align: right;">次回は、「注意」</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年5月12日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki151.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.150　頼むこと</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki150.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki150.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Apr 2010 22:00:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1892</guid>
		<description><![CDATA[思春期病の迷路に迷った子どもに対して、親としてどう対応すべきか、誰しも悩むところです。
当思春期外来では、具体的な対応法として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしています。

不登校、無気力症候群、摂食障害、強迫性障害など思春期の迷路に共通するのは、心のエネルギーの消耗であり、ＳＤＫＳは、心をふくらませる対策として有用だからです。
信じるとは、相手の価値観の正当性を認めることであり、認めるのであれば、こちらの価値観などしゃべる必要もなく（黙る）、相手の価値観に耳を傾ける姿勢が適切で（聴く）、相手の価値観に介入する必要もない（すべて任せる）という理屈です。
ＳＤＫＳの軸は、信じることであり、相手の価値観が自分と相反するものであっても、相手にとっては正しいに違いない、と認める意識でいることがポイントです。相手の価値観を自分の中に取り込むことではありません。
「ＳＤＫＳをするにあたって、子どもにものを頼んでもよいのでしょうか？」という質問をしばしば受けますが、上記のことをふまえて考えると次のようになります。
親がものを頼む時、例えば、ちょっとは外出して体を動かした方がいいとか、気分転換を図らせてあげたいとか、親の価値観が背景にある依頼は、ＳＤＫＳから外れたものです。一方、本当に困って頼むことは問題ありませんし、時には、本人の方から進んで手助けしてくる場合もあると思います。
また、同じことを頼むにしても、親の頼む姿勢によっても違います。たとえば、「雨が降ったら、洗濯物取り込んでおくのよ」と「・・・取り込んでおいてね」の違い。ちょっとした言い回しの違いですが、前者は、親としての上から目線の言葉で×、後者は、同じか、下から目線の言葉なので○と考えます。
もちろん、世の常識を盾に、子どもが当然すべき、という姿勢で頼むことも×です。
要は、何を頼むにしても、親の我を入れないことが必須条件となります。
　次回は「思い」。
「東葛まいにち」2010年4月14日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>思春期病の迷路に迷った子どもに対して、親としてどう対応すべきか、誰しも悩むところです。<br />
当思春期外来では、具体的な対応法として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしています。</p>
<p><span id="more-1892"></span><br />
不登校、無気力症候群、摂食障害、強迫性障害など思春期の迷路に共通するのは、心のエネルギーの消耗であり、ＳＤＫＳは、心をふくらませる対策として有用だからです。</p>
<p>信じるとは、相手の価値観の正当性を認めることであり、認めるのであれば、こちらの価値観などしゃべる必要もなく（黙る）、相手の価値観に耳を傾ける姿勢が適切で（聴く）、相手の価値観に介入する必要もない（すべて任せる）という理屈です。</p>
<p>ＳＤＫＳの軸は、信じることであり、相手の価値観が自分と相反するものであっても、相手にとっては正しいに違いない、と認める意識でいることがポイントです。相手の価値観を自分の中に取り込むことではありません。</p>
<p>「ＳＤＫＳをするにあたって、子どもにものを頼んでもよいのでしょうか？」という質問をしばしば受けますが、上記のことをふまえて考えると次のようになります。</p>
<p>親がものを頼む時、例えば、ちょっとは外出して体を動かした方がいいとか、気分転換を図らせてあげたいとか、親の価値観が背景にある依頼は、ＳＤＫＳから外れたものです。一方、本当に困って頼むことは問題ありませんし、時には、本人の方から進んで手助けしてくる場合もあると思います。</p>
<p>また、同じことを頼むにしても、親の頼む姿勢によっても違います。たとえば、「雨が降ったら、洗濯物取り込んでおくのよ」と「・・・取り込んでおいてね」の違い。ちょっとした言い回しの違いですが、前者は、親としての上から目線の言葉で×、後者は、同じか、下から目線の言葉なので○と考えます。</p>
<p>もちろん、世の常識を盾に、子どもが当然すべき、という姿勢で頼むことも×です。<br />
要は、何を頼むにしても、親の我を入れないことが必須条件となります。</p>
<p style="text-align: right;">　次回は「思い」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年4月14日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki150.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.149　逃避</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki149.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki149.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 22:00:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1691</guid>
		<description><![CDATA[前回、子どもを信じ、認める方法として、信じ、認める言動を目指すよりも、信じていない、認めていない言動を見付け出し、削り落としてゆく方が効果的だとお伝えしました。

そして、それがうまくゆくようになると、これまで気になって仕方がなかったことも、うそのように気にならなくなる、と書きました。
子どもが不登校となり、親の対応として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟努力を続けてきたある母親の話。
「子どもに限らず、夫や姑の言動についてさえ、自分の価値観と違っていても、イライラと気に障ることがなくなりました。
その分、私自身はとても楽です」
「いい感じですね」
「ただ、疑問というか、ちょっと不安があります。気にならないのはいいのですが、ひょっとして、それは無視とか逃避では
ないのか、という不安です」
この不安はＳＤＫＳの努力を行っている方が時々訴えること。ＳＤＫＳの目指すところは、自分と異なる他者の価値観をそれはそれとして正しいと認め、共存・共生を図ることなので、その意識を高めてゆくにつれて、「気にならない」という境地に達するのです。
他者を信じ、認める感覚として、もう少し高い精神状態を予測していた方にとっては「気にならない」では、少し物足らないゆえの不安かもしれません。
では、無視、逃避と「気にならない」を、どのように判別したらよいでしょうか？
「逃避かもしれない、と思われたとき、お子さんの発言や行動について、どんな気持ちでいましたか？」
「（そんな考え方もあるのかしら）という思いだったと思います」
「でしたら、逃避とはいえないでしょう」
無視や逃避する行動は、基本的には、相手に対する否定的、拒否的な姿勢なので、（そんな考え方もあるのかしら）と、軽く受け流せるものではありません。たとえ受け流すとしても、それ相応の我慢が必要ですし、多少なりとも不快さが残るものだからです。
次回は「頼むこと」。
「東葛まいにち」2010年3月10日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>前回、子どもを信じ、認める方法として、信じ、認める言動を目指すよりも、信じていない、認めていない言動を見付け出し、削り落としてゆく方が効果的だとお伝えしました。</p>
<p><span id="more-1691"></span><br />
そして、それがうまくゆくようになると、これまで気になって仕方がなかったことも、うそのように気にならなくなる、と書きました。</p>
<p>子どもが不登校となり、親の対応として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟努力を続けてきたある母親の話。<br />
「子どもに限らず、夫や姑の言動についてさえ、自分の価値観と違っていても、イライラと気に障ることがなくなりました。<br />
その分、私自身はとても楽です」<br />
「いい感じですね」<br />
「ただ、疑問というか、ちょっと不安があります。気にならないのはいいのですが、ひょっとして、それは無視とか逃避では<br />
ないのか、という不安です」</p>
<p>この不安はＳＤＫＳの努力を行っている方が時々訴えること。ＳＤＫＳの目指すところは、自分と異なる他者の価値観をそれはそれとして正しいと認め、共存・共生を図ることなので、その意識を高めてゆくにつれて、「気にならない」という境地に達するのです。</p>
<p>他者を信じ、認める感覚として、もう少し高い精神状態を予測していた方にとっては「気にならない」では、少し物足らないゆえの不安かもしれません。</p>
<p>では、無視、逃避と「気にならない」を、どのように判別したらよいでしょうか？</p>
<p>「逃避かもしれない、と思われたとき、お子さんの発言や行動について、どんな気持ちでいましたか？」<br />
「（そんな考え方もあるのかしら）という思いだったと思います」<br />
「でしたら、逃避とはいえないでしょう」</p>
<p>無視や逃避する行動は、基本的には、相手に対する否定的、拒否的な姿勢なので、（そんな考え方もあるのかしら）と、軽く受け流せるものではありません。たとえ受け流すとしても、それ相応の我慢が必要ですし、多少なりとも不快さが残るものだからです。</p>
<p>次回は「頼むこと」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年3月10日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki149.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.148　逆転の発想</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki148.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki148.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 22:00:26 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1531</guid>
		<description><![CDATA[子どもを「信じ、認める」ことをお勧めしていますが、（信じているぞ）、（認めているぞ）という言動は、なかなか実感しにくいものです。時には、何もしないことが、信じ、認めることである場合すらありますから、なおさらです。
そんな理由で、初めは意気込んで始めた「信じ、認める」も、具体的な感触がつかみにくいために、次第に、なんとなく信じ、認めている気分でお茶を濁すことになりかねませ
ん。
「少し子どもを信じられるようになったと思います」と母親。
「具体的に、お子さんの何を信じられるようになったのですか？」
「・・・」
という具合です。
そこで、ちょっと発想を逆転して、信じる言動や認める言動を目指すのではなく、信じていない言動、認めていない言動を積極的に見つけ出し、削り落としてゆく方法をお勧めしています。
私たち凡人にとっては、信じる言動よりも信じていない言動のほうがはるかに多いので、間違い探しをするほうが、より「信じ、認める」を意識するチャンスに恵まれるとい
う計算です。
人を信じ、認めたいと思ったとき、結局は自分の価値観との折り合いをどうつけるか、という問題になりますが、普通にしていては我欲が優先されるので、頭の中に、いつでも（信じ、認めたい）という意識を呼び出せるようにしておくことが大切なのです。そのための間違った言動探し。
意識していると、山ほどの間違いに気づくでしょう。めげそうになるかもしれません。ですが、ちょっと冷静になれば、これまでそれだけたくさんの間違いを垂れ流ししてきた、と反省できますし、その気づきを喜ぶこともできるはずです。
このやり方を、ある程度頑張って試していても、相変わらず間違えている自分がいるかもしれませんが、そんな時には、（そのくらい難しいことを目指し
ている）と考えればいいでしょう。
反省はするが後悔はしない、が間違い探しのコツ。やがて、これまで気になって仕方なかったことが、うその様に気にならなくなってゆきます。信じるとはそんな感覚なのです。
次回は「逃避」。
「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>子どもを「信じ、認める」ことをお勧めしていますが、（信じているぞ）、（認めているぞ）という言動は、なかなか実感しにくいものです。時には、何もしないことが、信じ、認めることである場合すらありますから、なおさらです。</p>
<p><span id="more-1531"></span>そんな理由で、初めは意気込んで始めた「信じ、認める」も、具体的な感触がつかみにくいために、次第に、なんとなく信じ、認めている気分でお茶を濁すことになりかねませ<br />
ん。</p>
<p>「少し子どもを信じられるようになったと思います」と母親。</p>
<p>「具体的に、お子さんの何を信じられるようになったのですか？」</p>
<p>「・・・」</p>
<p>という具合です。</p>
<p>そこで、ちょっと発想を逆転して、信じる言動や認める言動を目指すのではなく、信じていない言動、認めていない言動を積極的に見つけ出し、削り落としてゆく方法をお勧めしています。</p>
<p>私たち凡人にとっては、信じる言動よりも信じていない言動のほうがはるかに多いので、間違い探しをするほうが、より「信じ、認める」を意識するチャンスに恵まれるとい<br />
う計算です。</p>
<p>人を信じ、認めたいと思ったとき、結局は自分の価値観との折り合いをどうつけるか、という問題になりますが、普通にしていては我欲が優先されるので、頭の中に、いつでも（信じ、認めたい）という意識を呼び出せるようにしておくことが大切なのです。そのための間違った言動探し。</p>
<p>意識していると、山ほどの間違いに気づくでしょう。めげそうになるかもしれません。ですが、ちょっと冷静になれば、これまでそれだけたくさんの間違いを垂れ流ししてきた、と反省できますし、その気づきを喜ぶこともできるはずです。</p>
<p>このやり方を、ある程度頑張って試していても、相変わらず間違えている自分がいるかもしれませんが、そんな時には、（そのくらい難しいことを目指し<br />
ている）と考えればいいでしょう。</p>
<p>反省はするが後悔はしない、が間違い探しのコツ。やがて、これまで気になって仕方なかったことが、うその様に気にならなくなってゆきます。信じるとはそんな感覚なのです。</p>
<p style="text-align: right;">次回は「逃避」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki148.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.147　後悔と反省</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki147.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki147.htm#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 01:54:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1380</guid>
		<description><![CDATA[思春期病への対応を考えるとき、後悔と反省の区別をつけておくのは大切なことです。

子どもが不登校などの思春期病の迷路に迷った時、自分の子育てを振り返り、もう少し自由にしてあげればよかったとか、もう少し優しくしておけばよかったなどと、後悔する母親は多いものです。　
思春期病の原因に、子育てが大きくかかわっているというのは一般的な考え方ですし、そんな気持ちになるのも不思議ではありませんが、当思春期外来では「後悔はしないように」とお話しています。
別段、母親の気持ちを軽くするためではありません。母親にしても、原因を考え、どうすればよかったのか、納得するまで考えることは、悪いことではありません。
後悔しないようにお勧めする理由は、心を傷つけるから。悔いたり、自分を責めることは、心のエネルギーを消耗させるのです。
子育ては、思春期病の原因ではあるけれども、誰かにその責任を求めるべきものではない、と考えています。
母親は誰しも、自分の子どもの幸せを考えて子育てをする訳ですから、たとえ、過保護、過干渉であったり、母親の希望、願望、欲望を優先し過ぎたと結果的に気付いたとしても、後悔し自責の念に苦しむべきものではないはずです。
「後悔している暇があったら、前向きに反省してみませんか？」とお伝えしています。
過去の子育てについて、間違いと知りつつ間違いを行っていた訳ではないので、自らを責めるよりはむしろ、間違いの内容について反省しつつ、今後、どのように対応すべきかを考える方が良策といえます。
その際、参考にして頂きたいのが〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる〟です。子どもはすでに、親が教えられる程度の知識はすべてもっていると信じて、一切の提案、命令、忠告などを止めることです。
既知のこと、自明のことであればあるほど、子どもは、親の言葉から、親がいかに自分を信じていないかを感じ取り、心をしぼませるものだからです。
次回は「逆転の発想」。
「東葛まいにち」2010年1月6日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>思春期病への対応を考えるとき、後悔と反省の区別をつけておくのは大切なことです。</p>
<p><span id="more-1380"></span></p>
<p>子どもが不登校などの思春期病の迷路に迷った時、自分の子育てを振り返り、もう少し自由にしてあげればよかったとか、もう少し優しくしておけばよかったなどと、後悔する母親は多いものです。　</p>
<p>思春期病の原因に、子育てが大きくかかわっているというのは一般的な考え方ですし、そんな気持ちになるのも不思議ではありませんが、当思春期外来では「後悔はしないように」とお話しています。</p>
<p>別段、母親の気持ちを軽くするためではありません。母親にしても、原因を考え、どうすればよかったのか、納得するまで考えることは、悪いことではありません。</p>
<p>後悔しないようにお勧めする理由は、心を傷つけるから。悔いたり、自分を責めることは、心のエネルギーを消耗させるのです。</p>
<p>子育ては、思春期病の原因ではあるけれども、誰かにその責任を求めるべきものではない、と考えています。</p>
<p>母親は誰しも、自分の子どもの幸せを考えて子育てをする訳ですから、たとえ、過保護、過干渉であったり、母親の希望、願望、欲望を優先し過ぎたと結果的に気付いたとしても、後悔し自責の念に苦しむべきものではないはずです。<br />
「後悔している暇があったら、前向きに反省してみませんか？」とお伝えしています。</p>
<p>過去の子育てについて、間違いと知りつつ間違いを行っていた訳ではないので、自らを責めるよりはむしろ、間違いの内容について反省しつつ、今後、どのように対応すべきかを考える方が良策といえます。</p>
<p>その際、参考にして頂きたいのが〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる〟です。子どもはすでに、親が教えられる程度の知識はすべてもっていると信じて、一切の提案、命令、忠告などを止めることです。</p>
<p>既知のこと、自明のことであればあるほど、子どもは、親の言葉から、親がいかに自分を信じていないかを感じ取り、心をしぼませるものだからです。</p>
<p>次回は「逆転の発想」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2010年1月6日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki147.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.146　共存</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki146.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki146.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 08 Dec 2009 22:00:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1241</guid>
		<description><![CDATA[不登校の子どもについて「学校へ行かない権利を認めよう」という主張があり、不登校児に対する正しい心づかいのように思われていますが、当外来では、権利を認める立場をとっていません。
こんな書き方をすると、「思春期の問題を扱う人間として不見識ではないか」と、お叱りを受けそうですが、当外来は、学校へ行かない権利を認められるような立場にはないのです。
思春期病の治療法として、ＳＤＫＳ（信じる、黙る、聴く、すべて任せる）ことをお勧めしていますが、決して、上から目線で信じたり、任せたりすることではありません。
むしろ、下から目線か、せいぜい対等な目線での対応を目指しているので、権利を認めるという上からの姿勢は、当外来には馴染まないのです。思春期以上の子どもであれば、登校に関する自由など、始めからもっているという考えで十分でしょう。
親である人間が、上から目線にならないためには、親としての意識から変える気構えがなくてはなりません。その意識とは、他者（子ども）の価値観を、自分の考えと異なっていても、正当なものと認めようとする姿勢です。
私たちは、つい自分の価値観との照らし合わせで、他者（子ども）の価値観を評価しがちですが、他者（子ども）は他者なりの正当な価値観をもっている、という意識をもつことによって、形ばかりでないＳＤＫＳを行えるようになるのです。
「普通の人間にそんなことができるのか」という当然の疑問が起こりますが、これはあくまでも行動目標であり、（そうありたい）という意識をもてるかどうかの問題なのです。
意識だけでいいのでしょうか？
是です。完璧ではなくとも、他者の価値観と自分の価値観を共存・共生させる意識をもっていれば、それは必ず行動に反映されるからです。
一方、何も意識せずにいれば、つい自分の価値観を優先する方向に走ってしまうでしょう。親であれば、子どもに自分の価値観を押し付ける、相も変らぬ子育てを続けることになります。
次回は、「後悔と反省」
「東葛まいにち」2009年12月9日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>不登校の子どもについて「学校へ行かない権利を認めよう」という主張があり、不登校児に対する正しい心づかいのように思われていますが、当外来では、権利を認める立場をとっていません。</p>
<p><span id="more-1241"></span>こんな書き方をすると、「思春期の問題を扱う人間として不見識ではないか」と、お叱りを受けそうですが、当外来は、学校へ行かない権利を認められるような立場にはないのです。</p>
<p>思春期病の治療法として、ＳＤＫＳ（信じる、黙る、聴く、すべて任せる）ことをお勧めしていますが、決して、上から目線で信じたり、任せたりすることではありません。</p>
<p>むしろ、下から目線か、せいぜい対等な目線での対応を目指しているので、権利を認めるという上からの姿勢は、当外来には馴染まないのです。思春期以上の子どもであれば、登校に関する自由など、始めからもっているという考えで十分でしょう。</p>
<p>親である人間が、上から目線にならないためには、親としての意識から変える気構えがなくてはなりません。その意識とは、他者（子ども）の価値観を、自分の考えと異なっていても、正当なものと認めようとする姿勢です。</p>
<p>私たちは、つい自分の価値観との照らし合わせで、他者（子ども）の価値観を評価しがちですが、他者（子ども）は他者なりの正当な価値観をもっている、という意識をもつことによって、形ばかりでないＳＤＫＳを行えるようになるのです。</p>
<p>「普通の人間にそんなことができるのか」という当然の疑問が起こりますが、これはあくまでも行動目標であり、（そうありたい）という意識をもてるかどうかの問題なのです。</p>
<p>意識だけでいいのでしょうか？</p>
<p>是です。完璧ではなくとも、他者の価値観と自分の価値観を共存・共生させる意識をもっていれば、それは必ず行動に反映されるからです。</p>
<p>一方、何も意識せずにいれば、つい自分の価値観を優先する方向に走ってしまうでしょう。親であれば、子どもに自分の価値観を押し付ける、相も変らぬ子育てを続けることになります。</p>
<p>次回は、「後悔と反省」</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年12月9日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki146.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
		<item>
		<title>No.145　親の成長</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki145.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki145.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 10 Nov 2009 22:00:21 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1107</guid>
		<description><![CDATA[不登校、無気力、対人恐怖症、拒食症など、思春期の迷路の背景には、共通して、心のエネルギーの消耗がみられるものです。
ですから、本当の意味で正常な生活に復帰するためには、心のエネルギーの充てんが不可欠となります。
心のエネルギーを充てんするには、やりがいや達成感のある生活を送ることが効果的で、思春期であれば、すべての決定権を自分で握り、自分で考え、行動すること、すなわち、自立を通じて充てんすることが可能です。
自立が、何からの自立かといえば、言うまでもなく、親からの自立であり、思春期病の治療には「子どもが自立するフィールドを、親がいかにして用意できるか」にかかっているといっても過言ではありません。
思春期は、本来、子どもが自立を通じて大人へと変貌してゆく時なのだから、親も、大人になりつつある子どもの親として、変貌するのが道理というもの。
親が、子どもを管理、支配する形での子育ては、自立期までの子どもに向けた方法であり、自立を目指す子どもには、信じ任せることが重要となります。
当思春期外来では、思春期病治療の手段として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしていますが、そのまま、「大人になりつつある子どもへの正当な子育て法」ということができます。
また、ＳＤＫＳを行うことは、子どもの思春期病からの回復を期待できるばかりでなく、親として成長するための絶好のチャンス、と考えることもできます。
子どもの成長に合わせて、自分なりに変わってきたと思える親は、まず１日、子どもに対して「黙る」努力をしてみてください。きっと、いかにたくさんの言葉を話していたか気づかれるはずです。
「正しいことは話してもいいですか？」と質問するかたもいますが、子どもが正否を知らぬわけもなく、話した分だけ「こんなことも知らない子」と、不信の心を伝えているようなもの。不信は、子どもに不信の行動を誘導するだけです。まずは、言葉による管理、支配から減らしてみましょう。
次回は、「共存」
「東葛まいにち」2009年11月11日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>不登校、無気力、対人恐怖症、拒食症など、思春期の迷路の背景には、共通して、心のエネルギーの消耗がみられるものです。</p>
<p><span id="more-1107"></span>ですから、本当の意味で正常な生活に復帰するためには、心のエネルギーの充てんが不可欠となります。</p>
<p>心のエネルギーを充てんするには、やりがいや達成感のある生活を送ることが効果的で、思春期であれば、すべての決定権を自分で握り、自分で考え、行動すること、すなわち、自立を通じて充てんすることが可能です。</p>
<p>自立が、何からの自立かといえば、言うまでもなく、親からの自立であり、思春期病の治療には「子どもが自立するフィールドを、親がいかにして用意できるか」にかかっているといっても過言ではありません。</p>
<p>思春期は、本来、子どもが自立を通じて大人へと変貌してゆく時なのだから、親も、大人になりつつある子どもの親として、変貌するのが道理というもの。</p>
<p>親が、子どもを管理、支配する形での子育ては、自立期までの子どもに向けた方法であり、自立を目指す子どもには、信じ任せることが重要となります。</p>
<p>当思春期外来では、思春期病治療の手段として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしていますが、そのまま、「大人になりつつある子どもへの正当な子育て法」ということができます。</p>
<p>また、ＳＤＫＳを行うことは、子どもの思春期病からの回復を期待できるばかりでなく、親として成長するための絶好のチャンス、と考えることもできます。</p>
<p>子どもの成長に合わせて、自分なりに変わってきたと思える親は、まず１日、子どもに対して「黙る」努力をしてみてください。きっと、いかにたくさんの言葉を話していたか気づかれるはずです。</p>
<p>「正しいことは話してもいいですか？」と質問するかたもいますが、子どもが正否を知らぬわけもなく、話した分だけ「こんなことも知らない子」と、不信の心を伝えているようなもの。不信は、子どもに不信の行動を誘導するだけです。まずは、言葉による管理、支配から減らしてみましょう。</p>
<p>次回は、「共存」</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2009年11月11日号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki145.htm/feed</wfw:commentRss>
		<slash:comments>0</slash:comments>
		</item>
	</channel>
</rss>
