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	<title>東葛まいにち &#187; 思春期ブルー</title>
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		<title>思春期ブルー一覧</title>
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		<pubDate>Tue, 03 Jan 2012 20:01:39 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>
		<category><![CDATA[不登校]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>

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		<description><![CDATA[
小児科医　北島晴夫
あいあいキッズ院長
思春期は、大人になる課程で誰もが通る道。
心身ともに成長する時期ゆえに、いわゆる“思春期病”といわれる特有の症状が現れます。
思春期外来も開いていらっしゃる北島先生から、親のありかたや子どもへの接し方など、難しい時期を乗り切るためのアドバイスをいただきます。
適切な対応をとることで、本人も親もずっと楽になれますよ。
『東葛まいにち』で好評連載中！
北島先生のホームページ
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="size-full wp-image-25  alignleft" title="思春期ブルー" src="http://210.198.3.181/images/2009/07/shishuki_title.gif" alt="思春期ブルー" width="247" height="42" /></p>
<p>小児科医　北島晴夫<br />
あいあいキッズ院長</p>
<p>思春期は、大人になる課程で誰もが通る道。<br />
心身ともに成長する時期ゆえに、いわゆる“思春期病”といわれる特有の症状が現れます。<br />
思春期外来も開いていらっしゃる北島先生から、親のありかたや子どもへの接し方など、難しい時期を乗り切るためのアドバイスをいただきます。<br />
適切な対応をとることで、本人も親もずっと楽になれますよ。</p>
<p><strong>『東葛まいにち』</strong>で好評連載中！</p>
<div id="attachment_29" class="wp-caption alignleft" style="width: 210px"><a href="http://www.aiaikidsclinic.com/" target="_blank"><img class="size-full wp-image-29 " title="あいあいキッズクリニック" src="http://210.198.3.181/images/2009/07/shishunki_banner.jpg" alt="北島先生のホームページ" width="200" height="64" /></a><p class="wp-caption-text">北島先生のホームページ</p></div>
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		<item>
		<title>No.170　黙る喜び</title>
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		<pubDate>Tue, 03 Jan 2012 20:00:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

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		<description><![CDATA[私達は、自分の行動や思考を自分の意思により制御していると思っていますが、日常生活を改めて観察してみると、そのかなりの部分がなかば習性として行われていることに気づきます。
日ごろ通いなれた道を歩くことも、いつもと変わらぬ食事をすることも、気づいた時には終わっていたという体験は誰にもあるはずです。行動の多くは脳によって自動制御されており、純粋に意思による行動というのは意外と少ないもの。
そんなつもりじゃなかった、ついやってしまった、したくないと思っていたのに、など本来の意思と反する行動に当惑することがありますが、ほとんどが脳の判断、指令によるものだからです。
思春期病の解決法としてお伝えしている〝黙る〟について、多くの方が黙りたいと思っているのに、ついしゃべってしまう原因はここにあります。脳が関与する行為を意思のみで制御するのは難しいのです。
思春期外来に、なかなか黙れずに悩んでいた母親がいました。先日、その方がいつになく明るい表情で来院しました。
「ある日、子どものことでカチンときて、いつもでしたら二言三言しゃべるところを、（まあいいや）と黙っていましたら程なく気持ちはおさまりました。その時、（これが黙るってこと？）と急にうれしくなり、何度も思い返しては穏やかな気持ちにひたりました」
過去、親として子どもに口出しすることを正しいと思い込んでいた記憶を根拠に、脳は、習性としてのしゃべりを指令するのですが、黙ることに喜びを感じ始めると、脳はその根拠を失い不用意にしゃべりを指令しなくなります。
黙ろうと決意し、どんなに我慢し苦しんでもできなかった〝黙る〟が、黙ることを喜べるようになるだけで、可能になるのです。脳には、心地よいことを繰り返し、苦しいことを避けるように指令する特性があるからです。
また、この母親のように、黙れた喜びを何度も思い返すことはとても効果的で、脳は、思い返すごとに黙れた喜びを実体験したものと勘違いして記憶に焼きつけ、黙ることにより協力的になってゆきます。
次回は「したくなかった」
 「東葛まいにち」2012年1月4日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私達は、自分の行動や思考を自分の意思により制御していると思っていますが、日常生活を改めて観察してみると、そのかなりの部分がなかば習性として行われていることに気づきます。</p>
<p><span id="more-6710"></span>日ごろ通いなれた道を歩くことも、いつもと変わらぬ食事をすることも、気づいた時には終わっていたという体験は誰にもあるはずです。行動の多くは脳によって自動制御されており、純粋に意思による行動というのは意外と少ないもの。</p>
<p>そんなつもりじゃなかった、ついやってしまった、したくないと思っていたのに、など本来の意思と反する行動に当惑することがありますが、ほとんどが脳の判断、指令によるものだからです。</p>
<p>思春期病の解決法としてお伝えしている〝黙る〟について、多くの方が黙りたいと思っているのに、ついしゃべってしまう原因はここにあります。脳が関与する行為を意思のみで制御するのは難しいのです。</p>
<p>思春期外来に、なかなか黙れずに悩んでいた母親がいました。先日、その方がいつになく明るい表情で来院しました。</p>
<p>「ある日、子どものことでカチンときて、いつもでしたら二言三言しゃべるところを、（まあいいや）と黙っていましたら程なく気持ちはおさまりました。その時、（これが黙るってこと？）と急にうれしくなり、何度も思い返しては穏やかな気持ちにひたりました」</p>
<p>過去、親として子どもに口出しすることを正しいと思い込んでいた記憶を根拠に、脳は、習性としてのしゃべりを指令するのですが、黙ることに喜びを感じ始めると、脳はその根拠を失い不用意にしゃべりを指令しなくなります。</p>
<p>黙ろうと決意し、どんなに我慢し苦しんでもできなかった〝黙る〟が、黙ることを喜べるようになるだけで、可能になるのです。脳には、心地よいことを繰り返し、苦しいことを避けるように指令する特性があるからです。</p>
<p>また、この母親のように、黙れた喜びを何度も思い返すことはとても効果的で、脳は、思い返すごとに黙れた喜びを実体験したものと勘違いして記憶に焼きつけ、黙ることにより協力的になってゆきます。</p>
<p>次回は「したくなかった」</p>
<p style="text-align: right;"> 「東葛まいにち」2012年1月4日号掲載</p>
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		<item>
		<title>No.169　習性</title>
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		<pubDate>Wed, 14 Dec 2011 02:44:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>
		<category><![CDATA[不登校]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>

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		<description><![CDATA[不登校、無気力症候群、対人恐怖症、強迫性障害などの思春期病に共通するのは、心のエネルギーの消耗です。
原因が何であれ、心がしぼむ背景にあるのは、努力にもかかわらずそれに見合った十分なやりがいや成果が得られないこと。また、成果をあげられない自分を責めることでも心はしぼみます。
ですから、思春期病の迷路から抜け出るには、子どもがやりがいや成果を感じられる生活を送れる環境と、自分を責めなくてもよい状況を作ることが大切になります。
ここでクローズアップされるのが親、特に母親の存在です。子どもには、母親を喜ばせたいという潜在的願望があり、自己評価のみではやりがいや成果を十分に感じることができません。母親の〝もっと〟という姿勢は子どもを悩まし続けることになります。
また、人間誰しも人から命令されて行動することを嫌います。命令された行動によって何か成果が生まれても、その取り分の多くが命令者に回ってしまうからです。
そんなことから、親の価値観で子どもを評価しないこと、そして命令、指示しないことが、子どもの心をふくらませて思春期病の迷路からの脱出に役立つのです。
もっとも、お勧めしたからすぐにできる訳ではありません。子どもを評価、命令、指示することが、親としてすでに習性となっているからです。
そんな習性を変える。習性は半ば無意識に出てしまう行動であり、意図的に（変えたい）（やめたい）と思っていても、〝つい〟出てしまうという特徴があります。それゆえにちょっとした工夫が必要です。
習性が、脳の指令によって半ば自動的に起こるものなら、脳に、その習性が不要であることを伝えるのが早道。具体的には、出てしまった習性一つひとつに、不快だ、不要だ、迷惑だなどあらゆる非難を浴びせることです。
一方で、習性の出てしまった自分を責めることはしません。むしろ目的に反する習性に気づき、不要であると表明できたことを喜んでおきます。親といえども人間、責めていては心がしぼみます。お試し下さい。
次回は「黙る喜び」。
 「東葛まいにち」2011年12月14日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>不登校、無気力症候群、対人恐怖症、強迫性障害などの思春期病に共通するのは、心のエネルギーの消耗です。</p>
<p><span id="more-6549"></span>原因が何であれ、心がしぼむ背景にあるのは、努力にもかかわらずそれに見合った十分なやりがいや成果が得られないこと。また、成果をあげられない自分を責めることでも心はしぼみます。</p>
<p>ですから、思春期病の迷路から抜け出るには、子どもがやりがいや成果を感じられる生活を送れる環境と、自分を責めなくてもよい状況を作ることが大切になります。</p>
<p>ここでクローズアップされるのが親、特に母親の存在です。子どもには、母親を喜ばせたいという潜在的願望があり、自己評価のみではやりがいや成果を十分に感じることができません。母親の〝もっと〟という姿勢は子どもを悩まし続けることになります。</p>
<p>また、人間誰しも人から命令されて行動することを嫌います。命令された行動によって何か成果が生まれても、その取り分の多くが命令者に回ってしまうからです。</p>
<p>そんなことから、親の価値観で子どもを評価しないこと、そして命令、指示しないことが、子どもの心をふくらませて思春期病の迷路からの脱出に役立つのです。</p>
<p>もっとも、お勧めしたからすぐにできる訳ではありません。子どもを評価、命令、指示することが、親としてすでに習性となっているからです。</p>
<p>そんな習性を変える。習性は半ば無意識に出てしまう行動であり、意図的に（変えたい）（やめたい）と思っていても、〝つい〟出てしまうという特徴があります。それゆえにちょっとした工夫が必要です。</p>
<p>習性が、脳の指令によって半ば自動的に起こるものなら、脳に、その習性が不要であることを伝えるのが早道。具体的には、出てしまった習性一つひとつに、不快だ、不要だ、迷惑だなどあらゆる非難を浴びせることです。</p>
<p>一方で、習性の出てしまった自分を責めることはしません。むしろ目的に反する習性に気づき、不要であると表明できたことを喜んでおきます。親といえども人間、責めていては心がしぼみます。お試し下さい。</p>
<p>次回は「黙る喜び」。</p>
<p style="text-align: right;"> 「東葛まいにち」2011年12月14日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>No.168　思春期病</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Nov 2011 02:36:10 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

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		<description><![CDATA[不登校は病気です。
怠けでも、甘えでも、権利でもありません。
こんなことをわざわざ書く理由は、病気という前提にたてば、子ども自身も自分の現状を理解しやすくなりますし、親も、それなりの対応を考えられるようになるからです。
では、どんな病気なのでしょう。原因はいろいろですが、病気の正体は心のエネルギーの消耗です。消耗すると、自分がしたいこと、しなくてはいけないと思うことを、思い通りにできなくなります。「学校へ行きたい」と言いながら涙ぐむ子どもなどはその典型です。
消耗した最も多い理由は、努力にもかかわらず成果ややりがいがついてこなかったこと。いくつか例を挙げてみます。
偏差値の高い学校に入ったばかりに、努力をしても期待通りの成績がとれない。
人間関係におけるコミュニケーションスキルに問題があり、努力をしてもよい関係が構築できない。
運動部で頑張っているのに指導者との折り合いが悪く、活躍の場を与えてもらえない。
自分の考えで頑張りたいと思うのに、親の指示、命令、提案が執拗で自由な行動がとれない。
数え上げればきりがありませんが、一旦心がしぼみ始めると、思い通りに行動できなくなるばかりか、自責の念も加わって、さらに心はしぼんでゆきます。
この時、子どもに、そういう病気になったという自覚があれば、無駄に自分のことを責めなくてすみますし、また周囲も、不用意な忠告、提案、激励などで子どもを更に戸惑わせることを防ぐことができるでしょう。
不登校にまで至らなくとも、無気力になったり、抑うつ的になったり、こだわりが強くなったり、体の症状のために日常生活に支障をきたしたり、と思春期にはいろいろな問題がみられますが、これらの背景にあるのは、おおむね心のエネルギーの消耗であり、どれも病気という観点から対応を考えるのが良策と言えます。
当外来で、こうした思春期の問題を、思春期病として括って対応策をお伝えしている理由は、こんなところにあります。
次回は「習性」。
 「東葛まいにち」2011年11月9日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>不登校は病気です。<br />
怠けでも、甘えでも、権利でもありません。</p>
<p><span id="more-6174"></span>こんなことをわざわざ書く理由は、病気という前提にたてば、子ども自身も自分の現状を理解しやすくなりますし、親も、それなりの対応を考えられるようになるからです。</p>
<p>では、どんな病気なのでしょう。原因はいろいろですが、病気の正体は心のエネルギーの消耗です。消耗すると、自分がしたいこと、しなくてはいけないと思うことを、思い通りにできなくなります。「学校へ行きたい」と言いながら涙ぐむ子どもなどはその典型です。</p>
<p>消耗した最も多い理由は、努力にもかかわらず成果ややりがいがついてこなかったこと。いくつか例を挙げてみます。</p>
<p>偏差値の高い学校に入ったばかりに、努力をしても期待通りの成績がとれない。</p>
<p>人間関係におけるコミュニケーションスキルに問題があり、努力をしてもよい関係が構築できない。</p>
<p>運動部で頑張っているのに指導者との折り合いが悪く、活躍の場を与えてもらえない。</p>
<p>自分の考えで頑張りたいと思うのに、親の指示、命令、提案が執拗で自由な行動がとれない。</p>
<p>数え上げればきりがありませんが、一旦心がしぼみ始めると、思い通りに行動できなくなるばかりか、自責の念も加わって、さらに心はしぼんでゆきます。</p>
<p>この時、子どもに、そういう病気になったという自覚があれば、無駄に自分のことを責めなくてすみますし、また周囲も、不用意な忠告、提案、激励などで子どもを更に戸惑わせることを防ぐことができるでしょう。</p>
<p>不登校にまで至らなくとも、無気力になったり、抑うつ的になったり、こだわりが強くなったり、体の症状のために日常生活に支障をきたしたり、と思春期にはいろいろな問題がみられますが、これらの背景にあるのは、おおむね心のエネルギーの消耗であり、どれも病気という観点から対応を考えるのが良策と言えます。</p>
<p>当外来で、こうした思春期の問題を、思春期病として括って対応策をお伝えしている理由は、こんなところにあります。</p>
<p>次回は「習性」。</p>
<p style="text-align: right;"> 「東葛まいにち」2011年11月9日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>No.167　言葉</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki167.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki167.htm#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 12 Oct 2011 01:31:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>
		<category><![CDATA[不登校]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>

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		<description><![CDATA[言葉は、もちろん他者とコミュニケーションをとる手段ですが、自分自身を納得、理解させる手段としての側面ももっています。
先日の思春期外来で、同じ言葉を繰り返す母親がいました。
「子どもはきっと復活できると信じて見守っています」
「どんなことが起こっても、黙って見守っています」
「失敗も多いですが、見守ってゆきたいと思います」
なかなか気合の入った母親のように聞こえますが、〝見守っている〟という言葉の実体が見えてきません。
思春期病の子どもへの対応として、親が干渉や介入をしないほうがよいと知った母親は、自らの姿勢を〝見守る〟という言葉に置き換えて、自らを納得、理解させているのです。
本当のところは、気持ちの焦点を子どもに当てたまま、黙ること、先回りすることを我慢しているだけのことで、監視の目を〝見守る〟と置き換えているにすぎません。
実体は監視に近いものを〝見守る〟という言葉に置き換えるように、「本来の言葉を和らげて、自らの行為を正当化する言葉づかい」を、私は〝緩和語〟と呼んでいます。
もちろん、これは母親を非難している訳ではなく、私たちが緩和語によって納得してしまう危険性に気づいていただくためのお話です。
しばしば耳にする「心配しているのよ」などという言葉も、実は緩和語で、「あなたのしていることは、私の価値観と違うので気になって仕方ないの。いい加減、私の価値観に合わせてくれない」と等しい言葉です。心配していると柔らかく言われると、心を配ってもらい申し訳ないと感じつつも、あまり心地よい気がしないのは、価値観の押しつけが隠れているためと解釈できます。
信じる、受容するなどの言葉もその響きのよさのために、しばしば緩和語として使われます。子どもに対して我慢しているだけのことを、信じる、受容すると正当化するのです。では、具体的にどうすればよいでしょうか？〝黙る、聴く、すべて任せる〟は一つの提案です。
次回は、「思春期病」
 「東葛まいにち」2011年10月12日号掲載




]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>言葉は、もちろん他者とコミュニケーションをとる手段ですが、自分自身を納得、理解させる手段としての側面ももっています。</p>
<p><span id="more-6043"></span>先日の思春期外来で、同じ言葉を繰り返す母親がいました。<br />
「子どもはきっと復活できると信じて見守っています」<br />
「どんなことが起こっても、黙って見守っています」<br />
「失敗も多いですが、見守ってゆきたいと思います」</p>
<p>なかなか気合の入った母親のように聞こえますが、〝見守っている〟という言葉の実体が見えてきません。</p>
<p>思春期病の子どもへの対応として、親が干渉や介入をしないほうがよいと知った母親は、自らの姿勢を〝見守る〟という言葉に置き換えて、自らを納得、理解させているのです。</p>
<p>本当のところは、気持ちの焦点を子どもに当てたまま、黙ること、先回りすることを我慢しているだけのことで、監視の目を〝見守る〟と置き換えているにすぎません。</p>
<p>実体は監視に近いものを〝見守る〟という言葉に置き換えるように、「本来の言葉を和らげて、自らの行為を正当化する言葉づかい」を、私は〝緩和語〟と呼んでいます。</p>
<p>もちろん、これは母親を非難している訳ではなく、私たちが緩和語によって納得してしまう危険性に気づいていただくためのお話です。</p>
<p>しばしば耳にする「心配しているのよ」などという言葉も、実は緩和語で、「あなたのしていることは、私の価値観と違うので気になって仕方ないの。いい加減、私の価値観に合わせてくれない」と等しい言葉です。心配していると柔らかく言われると、心を配ってもらい申し訳ないと感じつつも、あまり心地よい気がしないのは、価値観の押しつけが隠れているためと解釈できます。</p>
<p>信じる、受容するなどの言葉もその響きのよさのために、しばしば緩和語として使われます。子どもに対して我慢しているだけのことを、信じる、受容すると正当化するのです。では、具体的にどうすればよいでしょうか？〝黙る、聴く、すべて任せる〟は一つの提案です。</p>
<p>次回は、「思春期病」</p>
<p style="text-align: right;"> 「東葛まいにち」2011年10月12日号掲載</p>
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		</item>
		<item>
		<title>No.166　きっかけ</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki166.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki166.htm#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 Sep 2011 01:03:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=5726</guid>
		<description><![CDATA[私たちは、自分の行動はすべて自分の意思で行っていると思いがちですが、行動の大半は脳によって自動制御されている、と少し前のコラムで書きました。
ちょっと実生活を振り返ってみれば、食事中や歩行中、すべての動作を意図的に行っている訳ではないことが分かるはずです。「おいしそう」と箸が伸びても、口に入れてかむ段階では、部分的には（よくかもう）と思うにしても、ほとんど自動的にかんでいます。
これは、行動の一つひとつに思考回路を回していては、膨大なエネルギーを消費することになるので、過去の記憶に類似したパターンがあると、脳は思考を最低限に抑え、過去のパターンに準じた指令を行って省エネを図るのです。
このように行動を習性化するのは、確かに合理的なシステムに違いありませんが、何らかの理由で、これまでと異なる行動パターンで暮らそうとすると、かえって不都合なシステムとなります。
思春期病の対策として、親が子どもに対し〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしていますが、多くの親は「なかなか黙れません」と訴えます。黙ろうと思っても、これまでの習性が邪魔をして〝つい〟しゃべってしまうからです。
この習性を変えるのがＳＤＫＳ＋Ｃをうまく行うコツですが、それには、習性的行動がどんなきっかけによって始まるのかを探ることが何より大切です。
もちろん、（さあ食べよう）など、きっかけが意思であれば探るべくもありませんが、きっかけが感情、感覚、欲望など心の波立ちである場合は、行動が起こってから気づくのがやっとかもしれません。つい苛立って、つい焦燥感に駆られて、つい支配欲に襲われて、といったきっかけは、振り返って探り当てるしかないのです。
不本意なしゃべりなど習性的な行動に気づいたら、その度に、きっかけとなった心の波立ちを振り返っていると、やがて、波立ちの時点で不本意な行為が起こることを予測できるようになり、小さいレベルの波立ちから順に乗り越えられるようになります。
次回は、「言葉」。
「東葛まいにち」2011年9月14日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私たちは、自分の行動はすべて自分の意思で行っていると思いがちですが、行動の大半は脳によって自動制御されている、と少し前のコラムで書きました。</p>
<p><span id="more-5726"></span>ちょっと実生活を振り返ってみれば、食事中や歩行中、すべての動作を意図的に行っている訳ではないことが分かるはずです。「おいしそう」と箸が伸びても、口に入れてかむ段階では、部分的には（よくかもう）と思うにしても、ほとんど自動的にかんでいます。</p>
<p>これは、行動の一つひとつに思考回路を回していては、膨大なエネルギーを消費することになるので、過去の記憶に類似したパターンがあると、脳は思考を最低限に抑え、過去のパターンに準じた指令を行って省エネを図るのです。</p>
<p>このように行動を習性化するのは、確かに合理的なシステムに違いありませんが、何らかの理由で、これまでと異なる行動パターンで暮らそうとすると、かえって不都合なシステムとなります。</p>
<p>思春期病の対策として、親が子どもに対し〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ）〟ことをお勧めしていますが、多くの親は「なかなか黙れません」と訴えます。黙ろうと思っても、これまでの習性が邪魔をして〝つい〟しゃべってしまうからです。</p>
<p>この習性を変えるのがＳＤＫＳ＋Ｃをうまく行うコツですが、それには、習性的行動がどんなきっかけによって始まるのかを探ることが何より大切です。</p>
<p>もちろん、（さあ食べよう）など、きっかけが意思であれば探るべくもありませんが、きっかけが感情、感覚、欲望など心の波立ちである場合は、行動が起こってから気づくのがやっとかもしれません。つい苛立って、つい焦燥感に駆られて、つい支配欲に襲われて、といったきっかけは、振り返って探り当てるしかないのです。</p>
<p>不本意なしゃべりなど習性的な行動に気づいたら、その度に、きっかけとなった心の波立ちを振り返っていると、やがて、波立ちの時点で不本意な行為が起こることを予測できるようになり、小さいレベルの波立ちから順に乗り越えられるようになります。</p>
<p style="text-align: left;">次回は、「言葉」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2011年9月14日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		<title>No.165　分岐点</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki165.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 10 Aug 2011 05:57:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは何か症状が出たとき、すぐに症状を消すことを考えがちですが、本当は、なぜそうした症状が出たのかを考えることも大切です。
なぜなら、症状に意味のないものはなく、すべてなんらかの、脳や体からの「状況を改善せよ！」というアラームと考えられるからです。
例えば、お腹が痛いとき、つい鎮痛剤に手が伸びますが、原因が分からないのであれば、アラームを無視する行為であることを忘れないでいてほしいのです。
これは、思春期病の症状の一つである不登校にもいえることで、必ず原因があるものとしての対応が望まれます。
病気ではなく、怠けではないのか、真面目さが足りないのではないか、と疑う親もおりますが、親自身が怠け者であったり、不真面目であったりしない限りそんなことはありえません。子どもは親の特性をコピーしながら育つものだからです。
もし親に、不登校が腹痛と同じように症状の一つであるという認識があれば、むやみに登校させようとは思わないはずです。お腹の痛みを訴える子どもに「お腹を痛がるのをやめなさい！」という親はいません。
子どもが不登校になったとき、親は、なだめすかして登校させようとしますが、以上のような理由で、子どもの元気がますます失われてゆくのがオチで、状況の改善は望めません。
登校について、子どもたちは親の想像よりもはるかに重要な行為と考えており、半端な理由で登校しなくなることはない、と考えて下さい。
当初は無理でも、親に症状としての認識が生まれると、それを分岐点として、子どもは元気を取り戻し、表情は明るく変わり、状況が上向きになったのを実感できるようになります。
“信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ＋Ｃ）”が効果的なのは、原因治療を目指した方法だからですが、黙ることが難しいと訴える親がいることも事実です。しかし、黙ることが目的ではなく、子どもの価値観を全面的に尊重することにより、子どもに自立のためのスペースを作るのが目的であると理解していてほしい、と思います。
次回は、「きっかけ」。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私たちは何か症状が出たとき、すぐに症状を消すことを考えがちですが、本当は、なぜそうした症状が出たのかを考えることも大切です。</p>
<p><span id="more-5646"></span>なぜなら、症状に意味のないものはなく、すべてなんらかの、脳や体からの「状況を改善せよ！」というアラームと考えられるからです。</p>
<p>例えば、お腹が痛いとき、つい鎮痛剤に手が伸びますが、原因が分からないのであれば、アラームを無視する行為であることを忘れないでいてほしいのです。</p>
<p>これは、思春期病の症状の一つである不登校にもいえることで、必ず原因があるものとしての対応が望まれます。</p>
<p>病気ではなく、怠けではないのか、真面目さが足りないのではないか、と疑う親もおりますが、親自身が怠け者であったり、不真面目であったりしない限りそんなことはありえません。子どもは親の特性をコピーしながら育つものだからです。</p>
<p>もし親に、不登校が腹痛と同じように症状の一つであるという認識があれば、むやみに登校させようとは思わないはずです。お腹の痛みを訴える子どもに「お腹を痛がるのをやめなさい！」という親はいません。</p>
<p>子どもが不登校になったとき、親は、なだめすかして登校させようとしますが、以上のような理由で、子どもの元気がますます失われてゆくのがオチで、状況の改善は望めません。</p>
<p>登校について、子どもたちは親の想像よりもはるかに重要な行為と考えており、半端な理由で登校しなくなることはない、と考えて下さい。</p>
<p>当初は無理でも、親に症状としての認識が生まれると、それを分岐点として、子どもは元気を取り戻し、表情は明るく変わり、状況が上向きになったのを実感できるようになります。</p>
<p>“信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ＋Ｃ）”が効果的なのは、原因治療を目指した方法だからですが、黙ることが難しいと訴える親がいることも事実です。しかし、黙ることが目的ではなく、子どもの価値観を全面的に尊重することにより、子どもに自立のためのスペースを作るのが目的であると理解していてほしい、と思います。</p>
<p>次回は、「きっかけ」。</p>
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		<title>No.164　無意識</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki164.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 13 Jul 2011 08:32:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>
		<category><![CDATA[不登校]]></category>

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		<description><![CDATA[私たちは、自分の行動はすべて自分の意思で行っていると思いがちですが、行動の大半は脳によって自動制御されていると言われています。脳が、記憶されている過去の成功・快感体験に準じて行動の指令を出しているというのです。
実際、行動の流れを観察してみると、意思によるきっかけか、感情の波立ちというきっかけがあれば、あとは脳が状況や記憶に応じて行動の核となる部分を自動制御することが分かります。
例えば、駅に行こうという意思で家を出れば、他の考えごとをしていてもいつの間にか駅に着いているものです。一挙手一投足にまでいちいち意思決定をしているわけではありません。
また、子どもの行動に苛立ちを感じてつい怒鳴ってしまうような場合も、苛立ちと怒鳴る行為はまるで条件反射のようで、熟慮の末に意思をもって怒鳴るなんてことはまずありません。
こうした、「つい」、「いつの間にか」と感じる行動は脳が自動制御している証であり、しかも、似た場面では似た行動がパターンのように指令される特徴があります。
〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ＋Ｃ）〟を実行している方から、「ついしゃべってしまいました」、「つい手伝ってしまいました」という言葉をよく耳にしますが、これは、不安、心配、苛立ち、喜びなどの感情の波立ちをきっかけに起こる行動であるために、意識して制御することが難しいのです。
感情の波立ちによって起こる、こうした不本意な行動を減らすには、どんな感情の波立ちがどんな行動を引き起こすのか、脳の指令パターン（習性）を知ることが効果的です。
それには、失敗に気づいた時、失敗したことで自分を責めないで、また（今度は気をつけよう）などとフタをして片づけないで、きっかけとなった感情の波立ちと行動のつながりを振り返ってみる姿勢が大切です。
失敗を振り返り、どんな行動が好ましかったのかを考えるように習慣づけておくと、それは脳にフィードバックされ不本意な行動が少しずつ減ってゆきます。なかば無意識な行動も、手のつけようはあるという話です。
次回は、「分岐点」。
「東葛まいにち」2011年7月13日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>私たちは、自分の行動はすべて自分の意思で行っていると思いがちですが、行動の大半は脳によって自動制御されていると言われています。脳が、記憶されている過去の成功・快感体験に準じて行動の指令を出しているというのです。</p>
<p><span id="more-5465"></span>実際、行動の流れを観察してみると、意思によるきっかけか、感情の波立ちというきっかけがあれば、あとは脳が状況や記憶に応じて行動の核となる部分を自動制御することが分かります。</p>
<p>例えば、駅に行こうという意思で家を出れば、他の考えごとをしていてもいつの間にか駅に着いているものです。一挙手一投足にまでいちいち意思決定をしているわけではありません。</p>
<p>また、子どもの行動に苛立ちを感じてつい怒鳴ってしまうような場合も、苛立ちと怒鳴る行為はまるで条件反射のようで、熟慮の末に意思をもって怒鳴るなんてことはまずありません。</p>
<p>こうした、「つい」、「いつの間にか」と感じる行動は脳が自動制御している証であり、しかも、似た場面では似た行動がパターンのように指令される特徴があります。</p>
<p>〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる（ＳＤＫＳ＋Ｃ）〟を実行している方から、「ついしゃべってしまいました」、「つい手伝ってしまいました」という言葉をよく耳にしますが、これは、不安、心配、苛立ち、喜びなどの感情の波立ちをきっかけに起こる行動であるために、意識して制御することが難しいのです。</p>
<p>感情の波立ちによって起こる、こうした不本意な行動を減らすには、どんな感情の波立ちがどんな行動を引き起こすのか、脳の指令パターン（習性）を知ることが効果的です。</p>
<p>それには、失敗に気づいた時、失敗したことで自分を責めないで、また（今度は気をつけよう）などとフタをして片づけないで、きっかけとなった感情の波立ちと行動のつながりを振り返ってみる姿勢が大切です。</p>
<p>失敗を振り返り、どんな行動が好ましかったのかを考えるように習慣づけておくと、それは脳にフィードバックされ不本意な行動が少しずつ減ってゆきます。なかば無意識な行動も、手のつけようはあるという話です。</p>
<p>次回は、「分岐点」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2011年7月13日号掲載</p>
]]></content:encoded>
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		<title>No.163　登校</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki163.htm</link>
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		<pubDate>Tue, 07 Jun 2011 04:53:11 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>

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		<description><![CDATA[誰もが当たり前に行っている登校ができなくなる。かつては登校拒否と呼ばれていましたが、現在では不登校と呼ばれます。
実際に昔は「学校が嫌い」とか、「学校へ行きたくない」と訴えて登校を拒否する子どもが多かったものですが、現在では呼称の通り、「学校へ行きたいけれど行けない」と訴える子どもの方が多い印象を受けます。
もっとも、「行きたいけれど・・」と言う子どもも、経過とともに「行きたくない」に変わってゆくことが多く、昔に比べて我慢しなくなった分、病気の早いステージから登校しなくなるためかもしれません。
わざわざ不登校のステージに言及する理由は、どんな子どもも、登校に対する義務感はしっかりともっており、それは大人の予想を超えてかなり高いもので、安易に不登校なるものではないことを理解していただきたいからです。
Ｈ君の不登校が始まったのは、中学３年生の９月でした。始業式の朝、起きることができませんでした。
「夏休み中、少し元気がなく、宿題も手につかない様子でしたので心配していましたが、突然、学校へ行かなくなるとは思いもしませんでした」と母親は振り返りました。
「原因やきっかけと思われることが何かありましたか？」
部活動での人間関係のこと、夏季の宿題のこと、担任との折り合いのことなどを、母親は話してくれました。
「確かに問題には違いありませんが、ちょっとインパクトが弱い気がします」
「インパクト？」
「子どもは、その程度の問題で不登校になるものではありません。もっと根本的な問題が潜んでいるはずなのですが・・」
詳しくお話をうかがったところ、いわゆる「できる子」が高偏差値校で落ちこぼれるパターンをとっていました。頑張っても、頑張っても回復できないプライドに、心は傷つき萎んでしまったのでした。こうした、ある程度インパクトのある原因でもなければ、不登校というのは始まるものではありません。
子どもたちの登校に対する思いは、そのくらい重いものです。
次回は、「無意識」。
「東葛まいにち」2011年6月8日号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>誰もが当たり前に行っている登校ができなくなる。かつては登校拒否と呼ばれていましたが、現在では不登校と呼ばれます。</p>
<p><span id="more-5121"></span>実際に昔は「学校が嫌い」とか、「学校へ行きたくない」と訴えて登校を拒否する子どもが多かったものですが、現在では呼称の通り、「学校へ行きたいけれど行けない」と訴える子どもの方が多い印象を受けます。</p>
<p>もっとも、「行きたいけれど・・」と言う子どもも、経過とともに「行きたくない」に変わってゆくことが多く、昔に比べて我慢しなくなった分、病気の早いステージから登校しなくなるためかもしれません。</p>
<p>わざわざ不登校のステージに言及する理由は、どんな子どもも、登校に対する義務感はしっかりともっており、それは大人の予想を超えてかなり高いもので、安易に不登校なるものではないことを理解していただきたいからです。</p>
<p>Ｈ君の不登校が始まったのは、中学３年生の９月でした。始業式の朝、起きることができませんでした。</p>
<p>「夏休み中、少し元気がなく、宿題も手につかない様子でしたので心配していましたが、突然、学校へ行かなくなるとは思いもしませんでした」と母親は振り返りました。</p>
<p>「原因やきっかけと思われることが何かありましたか？」</p>
<p>部活動での人間関係のこと、夏季の宿題のこと、担任との折り合いのことなどを、母親は話してくれました。</p>
<p>「確かに問題には違いありませんが、ちょっとインパクトが弱い気がします」</p>
<p>「インパクト？」</p>
<p>「子どもは、その程度の問題で不登校になるものではありません。もっと根本的な問題が潜んでいるはずなのですが・・」</p>
<p>詳しくお話をうかがったところ、いわゆる「できる子」が高偏差値校で落ちこぼれるパターンをとっていました。頑張っても、頑張っても回復できないプライドに、心は傷つき萎んでしまったのでした。こうした、ある程度インパクトのある原因でもなければ、不登校というのは始まるものではありません。</p>
<p>子どもたちの登校に対する思いは、そのくらい重いものです。</p>
<p>次回は、「無意識」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2011年6月8日号掲載</p>
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		<title>No.162　目標</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki162.htm</link>
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		<pubDate>Tue, 10 May 2011 06:04:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[思春期ブルー]]></category>
		<category><![CDATA[不登校]]></category>
		<category><![CDATA[子ども]]></category>

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		<description><![CDATA[不登校など思春期病の子どもへの対応として、子どもを信じることを勧めています。
信じるとは、子どもの価値観を正当なものと尊重することであり、尊重するのであれば、親としての発言（干渉、介入）のほとんどは不要であろうとの観点から、まずは黙ることを当面の目標としています。
ところが、この〝黙る〞ことは意外と難しいもの。これまで、しゃべることについて気楽に、なんの疑問も持たずにいた人が、「さあ、黙りましょう」と言われて、すぐに黙れるわけはありません。私たちには、なかば習性としてしゃべる傾向があるので、（黙ろう）と決意していても、ついしゃべってしまうものだからです。
ですから、黙れるようになるためには、しゃべる習性を変化させる工夫が必要になります。
習性というのは、同じような状況に際して同じような行動をするように、脳に刻まれたパターンのようなものですから、それを修正するには、どんな状況にどんな行動が結びついているのかを知らなくてはなりません。
かといって、脳の中の行動パターンを、過去の行動から推測、把握するには、記憶があいまいすぎるので、より現実的には、脳の中のパターンが表に出たとき、すなわち、しゃべってしまったときに、そのきっかけとなった状況としゃべった内容を照合し、習性の正体を探知することが良策となります。
親として、子どもに不安、苛立ち、心配、悲しみ、同情などの負の感情を覚えたときや、自分によい考えや答えが浮かんだときは、ついしゃべってしまう危険性が高いものです。
ついしゃべってしまったと気づいたとき、大切なのはしゃべったことではなく、それに気づいた事実です。これまで気づかずにいたことに気づいたことこそ決意の成果だからです。その上で、その時の自分の気持ちがどうであったかを考えてみればよいわけです。
ＳＤＫＳ＋Ｃ（信じる、黙る、聞く、すべて任せる＋自分が変わる）の〝黙る〞の実現には、直接黙ることを目標とするよりも、偶発的なしゃべりに気づき、そぎ落とすことを目標とするほうが、より現実的で効果的なアプローチとなるでしょう。
次回は、「登校」。
「東葛まいにち」2011年５月号掲載
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>不登校など思春期病の子どもへの対応として、子どもを信じることを勧めています。</p>
<p>信じるとは、子どもの価値観を正当なものと尊重することであり、尊重するのであれば、親としての発言（干渉、介入）のほとんどは不要であろうとの観点から、まずは黙ることを当面の目標としています。</p>
<p><span id="more-4913"></span>ところが、この〝黙る〞ことは意外と難しいもの。これまで、しゃべることについて気楽に、なんの疑問も持たずにいた人が、「さあ、黙りましょう」と言われて、すぐに黙れるわけはありません。私たちには、なかば習性としてしゃべる傾向があるので、（黙ろう）と決意していても、ついしゃべってしまうものだからです。</p>
<p>ですから、黙れるようになるためには、しゃべる習性を変化させる工夫が必要になります。</p>
<p>習性というのは、同じような状況に際して同じような行動をするように、脳に刻まれたパターンのようなものですから、それを修正するには、どんな状況にどんな行動が結びついているのかを知らなくてはなりません。</p>
<p>かといって、脳の中の行動パターンを、過去の行動から推測、把握するには、記憶があいまいすぎるので、より現実的には、脳の中のパターンが表に出たとき、すなわち、しゃべってしまったときに、そのきっかけとなった状況としゃべった内容を照合し、習性の正体を探知することが良策となります。</p>
<p>親として、子どもに不安、苛立ち、心配、悲しみ、同情などの負の感情を覚えたときや、自分によい考えや答えが浮かんだときは、ついしゃべってしまう危険性が高いものです。</p>
<p>ついしゃべってしまったと気づいたとき、大切なのはしゃべったことではなく、それに気づいた事実です。これまで気づかずにいたことに気づいたことこそ決意の成果だからです。その上で、その時の自分の気持ちがどうであったかを考えてみればよいわけです。</p>
<p>ＳＤＫＳ＋Ｃ（信じる、黙る、聞く、すべて任せる＋自分が変わる）の〝黙る〞の実現には、直接黙ることを目標とするよりも、偶発的なしゃべりに気づき、そぎ落とすことを目標とするほうが、より現実的で効果的なアプローチとなるでしょう。</p>
<p>次回は、「登校」。</p>
<p style="text-align: right;">「東葛まいにち」2011年５月号掲載</p>
]]></content:encoded>
			<wfw:commentRss>http://www.bunya.ne.jp/rensai/shishunki/shishunki162.htm/feed</wfw:commentRss>
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