No.16 柏への転居



No.16 柏への転居

退院してから私の時間の配分は大きく変わった。
冷静に手術を断り、一見強い意志で、自分を律しているように見せていたが、死の恐怖は絶えず襲ってきた。特別な予定がない時は、墓参りがその日のスタートになった。


8月に入ると温泉巡りだ。○○温泉は病気に効く、どこどこの温泉で病気が治ったなど、人伝えや、噂、昔からの言い伝えの温泉、がむしゃらに温泉めぐりに明け暮れた。

また、何の食べ物は体にいい、漢方薬が効く、あそこの水がいいと聞くと汲みに行った。一日としてじっとしていられない毎日、朝から夜まで何かをやり続けていた。

娘が柏に一軒家を手配してくれた。私がいなくなった後のことを考えてのことだろう。すぐにでも引っ越してきて欲しいと言ってきた。最期は、自分の人生の大半を過ごし、それなりの実績のある地で死を迎えたいと願っていたので、「どんな事があっても動く気はない。一人でもここに残る」と皆を困らせた。ここを拠点に、「年内にかけよう」と民間療法や免疫治療に明け暮れた。

2004年12月29日、期限の残りもあと3日。
さすがにこの時期ここで最期は寂しすぎる。我慢ができなくなり、怖くなり、わずかに残しておいた荷物と一緒に柏に引っ越した。残りわずか、確かに恐怖もあった、しかしどこかで「俺の勝ちだ!」そんな気持ちも強くなっていた。

新しい年と共に、紹介された近くにある大学病院との二人三脚が始まった。脳外科、循環器、呼吸器の先生達とも相性は良さそうである。月に1度の定期検診と手足のマッサージ、免疫治療、温泉巡りがさらに続いた。手術をしなかったことが正解だった。しかし1カ月検診が半月に短縮された。

柏に移って2年目、相変わらず手足の麻痺はとれず歩くことは不自由だ。
100mの壁が破れない、階段は心臓が苦しくなり家の2階にも上がったことがない。言葉は何故か小さくなってしまう。排尿障害、嚥下障害は改善されない、味覚障害は牡蠣(カキ)を食べると治ると聞き、食べ続けた成果か、わずかだが味が分かるようになってきた。

知人から、施設を運営している人の講演会を企画しているので手伝わないかと誘われる。柏に来て地域との交流が無かった私にはありがたい誘いだった。会場の手配やチラシ作り、人集めなど久々の活動の機会だ。進行役も指名された。やる気十分だが、打合わせなどで緊張すると声が出ない。のどの麻痺が影響しているのか、話し始めて一定の時間が経過するまでは声が裏返ってしまう。泣いているように聞こえるらしい。急きょ、代役を頼んだ、それ以来彼は私を支えてくれている。これで少し自信が蘇ってきた。

その年の障害者の日、車椅子の大臣・八代英太氏を講師に記念講演会を企画した。講演依頼から会場やボランティアの手配、チラシの作成など私が中心で行った。
11月の半ばから、なんとなく歩く時の不自然さを感じなくなった。夢中で動き回って、回復してきたと喜んだ。

記念講演は大盛況だった。終了後、控え室で「この街は君の頑張りを必要としている。障害者、高齢者に優しい街に変えないと」との指摘を受けた。「市の会場も車椅子対応ができていない、駅前が段差ばかりで、車椅子の人を一人も見なかった」と多くの宿題を与えられた。

街づくり、高齢者、障害者、地域支援など、さまざまな分野で活動の機会に恵まれ、休みなく各地を飛び回る日が続いた。

「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載

(次回最終回)


                                                  

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