No200 自分の意思



No200 自分の意思

関与がなくても行動は起きる

このコラムで何度も書いてきたことですが、私達は自分の意思を過大に評価しているような気がします。
もっとも、他人の提案や忠告がないのに何か行動を起こしたのであれば、自分の意思によるものと考えてもよさそうですが、意思の関与がなくとも行動は起きるものであると認識してほしいものです。多くの人は、自分の意識下で起こった行動に気づくと、あわてて意思による何らかの理由づけをして自分の意思によるもと、お茶を濁すものなのです。そのため、いつまでたっても意識下の行動に気づかず、意思に反する別の言葉や行動に支配され続けるのです。

「つい」とか「いつの間にか」と言った枕詞のつく言動は概ね意識下のものと考えてよいと思います。

では意識下の言動の正体は何でしょうか。それは脳の記憶によるもので、過去によい成果や心地よい体験をしたときの記憶をもとに、似た事態になった時習性ともいえる言動を指令するのです。こうした脳の支配の理由は、たとえば、意思ばかりに任せていては、(死にたい)と思っただけで死を選択する危険があるからです。

ある母親の話。
「先日PTAの集まりがあり、いくつかの議題について相談しましたが、すべての決断は自分の意思で行いました。多少迷うことはありましたが、自分で選択できました」
「実は、その時の発言を指令したのが脳です。一部、意思による介入が可能なので意思によると違いをしてしまうのです」
「間違いなく私の意思だったと思いますが」
「それは正当な思いですが、本当に意思だけの言動なのかどうか考えていただきたいのです。過去に似たような言葉をたくさん使ってきたはずです」
「そう言われると、言葉が湧き出るように出てきた気がします」
「言葉、行動には、意思によるものと意思によらないものがある、と意識していればその区別は次第に容易になるはずです」
意思によらない行動と言うと難しそうですが、食事や駅までの道などで「いつの間にか」の多くの行動に気づくでしょう。

次回は「正当性」


                                                  

2014年09月24日 No200 自分の意思 はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 思春期ブルー 東葛ニュース 連載記事

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