障害を抱え…でも「なんとしてでも生きていたい」-強い意思の岡嵜裕美さん

障害を抱え…でも「なんとしてでも生きていたい」-強い意思の岡嵜裕美さん

オカリナを吹いてみせる裕美さん

「死にたい衝動に駆られる」「物事を持続することができず、仕事が長続きしない」などの症状が見られる『境界性パーソナリティ障害』と診断されて通院中。2年ほど前から、生活の不安を抱えながらも「パンでも盗んでお巡りさんの世話になってでも生きていたい」と、強い意思を見せた。

「内堀先生と出会えてよかった。信頼できる人を見つけ、感性や情に触れた気がします。今はリストカットも薬物過剰摂取もしていないです。私が死ぬと悲しがる人がいると感じるから・・・・」フリースクール「ゆうび小さな学園」のサブリーダー岡嵜裕美さん(30)は優しい眼差しでほほ笑んだ。

小学6年の時から不登校のまま1日も学校に通うことなく中学を卒業した。その後、人との出会いを通してさまざまな経験をし、大検も取得した。

しかし、その間に病気の友達を亡くした。夜中、「死ぬような気がする助けて。今すぐ会いたい」と彼女からSOSの電話を受けた。「いつもと違う。大変だ」と思いつつも真夜中、「でもきっと大丈夫」と、その時はハッピーエンドしか思っていなかった。彼女の妹から訃報の電話が入ったのは、それから1 週間後だった。

「どうして会いに行かなかったんだろう。どうして彼女の気持ちを分かってあげられなかったんだろう。分かってあげられたのではないだろうか」と後悔の念が裕美さんを苦しめた。
さらに「生きていてなんで若くて死ぬのだろう」と考えれば考えるほど、気持ちが落ち込み、引きこもった。22歳の時だった。

時間とともに落ち着いてきた裕美さんは、知人の会社で正社員として仕事をしていたが、何か物足りなさを感じていた。それは今まで経験してこなかった「学生生活を体験してみたい」という強い思いだった。

そして憧れの大学に入学。友達もできた。だが、以前のトラウマからか病んでいる友達を見放すことはできず「助けたい」と頑張った。でも、それがあだとなり、身も心もズタズタになり、中退を余儀なくされた。「講義は楽しかった」と裕美さんは振り返る。

大学の時、レポートを書くためにフリースクールを探していたところ、同学園を知り、内堀照夫代表に会った。「中学の時見学に行ったことがあるのよ」と母から聞き、不思議な縁を感じたらしい。

24歳の時、ここでボランティアとして参加。現在はスタッフとして仕事をし、2年前からオカリナを習っている。「夢はお金の掛からないフリースクールを作ること」と、病気と闘いながらも一生懸命に生きている裕美さんの姿がまぶしかった。

                                                  

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2010年07月14日 コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |

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