50年前の東京五輪聖火ランナー



50年前の東京五輪聖火ランナー

web_isaka半世紀ぶりにトーチと再会 柏の井坂公俊さん(67)

1964年の東京五輪で聖火リレーランナーを務めた柏市陸上競技協会長・井坂公俊さん(67)=柏市藤心=のトーチが、保管していた茨城県常陸太田市から本人に戻され、半世紀ぶりに〝再会〟した。井坂さんは「大切な宝物が戻ってうれしい」と喜んでいる。  茨城県常陸太田市出身。茨城県高校総体で優勝した同県立太田一高の陸上部キャプテンだったころ聖火ランナーを務めた。五輪開催直前、日の丸の付いたランニングシャツに白のパンツ、素足でシューズをはいて、笠間市役所から関場間1・7㌔を走った。当時17歳。沿道に大勢の人達が詰めかける中、白バイに先導され(時速12㌔のスピードで走るように指示)、2人の副走と20人の随走者を背によそ見もせず、声も出さずに黙々と、ただひたすら走った。「沿道には日の丸の旗を振った人達がたくさんいて緊張しました。トーチは非常に重く、リレー中、火が消えないといいなと心配ばかり。中継で聖火がつながった時にはうれしかった」と振り返る。自身の当時のアルバムにも「トーチは非常に重かったナ。しかし、気持ちヨカッタ」と素直な気持ちが記されている。  だが、大役を務めた後、トーチは本人の了解を得て、当時の常陸太田市の担当者が預かり、井坂さんはどこにいったか、わからずじまい。今夏、実家に帰省した際に「できれば返してほしい」と常陸太田市側に伝えた。同市によると、しばらく、同市役所で展示されていたが、庁舎移転に伴い、市郷土資料館の収蔵庫で眠ったままになっていたといい、半世紀ぶりに井坂さんの手元に戻った。  トーチは、長さ65㌢、重さ800㌘で、すすのような跡が残っている。「ずしりと重い。今ごろ実感するのも変だが、このトーチを運んだのかと思うとうれしさでいっぱい。トーチを後世に引き継ぐことも考えていきたい」と話す。

◆東葛中学駅伝で柏土中を3度優勝へ導いた 

web_isaka2井坂さんは大学卒業後、浦安中学校(浦安市)の体育教師となり、駅伝の監督として4年目で「東葛中学駅伝」(東葛飾地方中学校駅伝競走大会、当時は浦安市も参加していた)で同校を優勝に導いた。その後も、柏土中での優勝3回、準優勝3回など輝かしい記録を打ち立て、15年間にわたり駅伝監督として取り組んできた。しかし、指導に当たっては選手達への負担も大きかったのではないかなど、反省すべき点も多く、これから駅伝に携わる先生達には「私の失敗を繰り返すことのないように、より良い計画で素晴らしい駅伝指導をしてほしい」と、過去12年間の実績を基盤として柏二中で2年間、「生徒を伸ばす効果的な指導法」の研究をし、まとめた。これを参考にした監督も多いと言う。  指導するうえで「聖火ランナーは、5万人ほどの常陸太田市の1人として選ばれたので、何ごとも頑張らないといけないという思いが強くなった。聖火ランナーに選ばれたという誇りが常に心の支えになっていた。貴重な体験は、教育活動や陸上の指導にも大きなプラスになった」と振り返った。


                                                  

2014年10月29日 50年前の東京五輪聖火ランナー はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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