葬儀の本質は、「本人」に 死んだことを悟らせることにある



葬儀の本質は、「本人」に 死んだことを悟らせることにある

僧侶の執り行う読経や作法というのは、遺体のすぐそばにいるであろう「本人」に対して「あなたは、亡くなったのですよ」と、繰り返し繰り返し教えることなのです。そういう全体の様子を見て「本人」は、
ーーああ、自分は死んだのかもしれない。
ーーどうも死んだようだ。そうか、死んだのだ。
と次第に悟っていくわけです。

そして、身体があればこそできた諸々のこと、ああしたいこうしたいという物事が、もうできないのだと気づいていくのです。いわゆる俗世の未練が絶ちきれていくわけです。そして、成仏へと進んでいくわけです。
このように、故人に自分の死を悟らせ、俗世の未練を絶ちきらせていくのが通夜であり、葬儀の本質的な意義なのです。

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死んで、終わりではありません。
殺して、終わりではありません。
死んでも、心は変わりません。
悔いなく、未練なく、恨みなく、
恨まれることもなく、生きること。
死んでも、心はいまのまま。
だから、この「いま」が大切なのです。

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■大島祥明著『死んだらおしまい、ではなかった』より引用。
▽問い合わせTEL:03~3239~6221(PHP研究所 書籍第一部)

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2014年02月26日 葬儀の本質は、「本人」に 死んだことを悟らせることにある はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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