死よってほんとうの「本人」が現れる



死よってほんとうの「本人」が現れる

霊魂を実感すると、「死ぬということは、身体と魂とが離れる状態」だということがわかります。そして、身体はこの世から滅することになります。けれども、死んでも「本人」は消滅しないでずっとつづいていくのです。

 


 身体というものは、あくまでこの世の借り物・乗り物なのです。そして、身体がなくなった状態こそが、その人の本質的な姿だと思います。人間は身体がある状態、つまり生きている状態では、なかなかその人の本質はあらわになっておりません。生きているときには、世間的な権威とか肩書きとか、そういった役割みたいなものによって自分をかたちづくっています。

 また、接触する人によって対応も変わります。内心は傲慢でも外面的には誠実な人柄としてふるまっていたり、内心は臆病でも剛毅な性格を装っていたりすることもあります。生きているときは、その人の本質は、外面的な身体によってカムフラージュされているようなものです。
 ところが、死によって身体と離れると、「本人」だけになります。外面の被いが取り除かれて「本人」だけになるのです。そのとき、裸になったほんとうの「本人」が現れるのです。死によって、自分を押さえつけていたもの、規制していた枠が外れるのでしょう。その本人の本質があらわになるわけです。

 私が実感するのは、その「本人」という本質的な部分なのです。そして、私が「本人」をより強く実感するのは、やはり「本人」が長くいた場所です。しかも、死の直後なのです。身体から離れたものを、俗に「霊魂」「たましい」というわけですが、私は「本人」とよんでいます。その「本人」をわかる人もいるし、わからない人もいます。わからない人が、ほとんどだと思います。私は、死後も「本人」が実在することを、「信じなさい」とも言いません。また、「わかるからいい」とか「わからないから悪い」ということもありません。むしろ、わからないほうがいい場合すらあります。わからない人、死んだらそれで終わりだと思える人は、あるいは楽だとも言えます。「本人」がわかる人は、少々重荷を背負うことになるからです。

 なぜなら、こちらで霊がなにかを訴えかけているのかがわかると、霊のほうもこちらが「自分のことを理解してくれている」と感じるのでしょう。すると、「なんとかしてもらいたい」とかかわってくることがあるからです。私もときどき霊にしがみつかれたり、よりかかられそうになることがあります。そのときには、心身ともかなりきついものです。だから、自分に霊に応えるだけの力量と覚悟が備わっていなければ、不必要に霊に悩まされることにもなりかねないのです。


                                                  

2014年04月30日 死よってほんとうの「本人」が現れる はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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