重い自閉症のある子に教えられる健常と言われる人の言葉づかいのいい加減さ



重い自閉症のある子に教えられる健常と言われる人の言葉づかいのいい加減さ

5月2日から3日は、恒例の「江戸川・利根川・渡良瀬川150㌔メートルサイクルマラソン」である。中学生の年齢以上の希望者が参加する。小学生の年齢でも、伴走する車に乗って参加する子もある。その中に重い自閉性のある叡さん(10歳)もいた。途中の中継地点で自転車グループの到着を待つ間の出来事である。


利根川の川縁で叡さんは川に入ろうとした。リーダーの橋本さんは、叡さんに近づき、ロープの張ってあるくいに取り付けられた注意板を指さし「叡さん、ここに何て書いてありますか」と問う。叡さんは『アブナイカラハイラナイデクダサイ』と読み、川に入るのを自分の意思でやめた、が。4~5㍍移動してロープだけの所で、ロープをくぐって川に入ろうとしたのである。それを見て橋本さんは「『なるほど、ロープは張られているが、ここには注意書はない。ここなら入ってもいいと判断したんだ』と思って納得しました」と。ともすると「言うことを聞かない子だ」などと叱る場面である。さすが橋本さん。
僕が自閉症のある子に魅せられてしまったのは、あの澄んだ瞳のせいでもあるが、言葉に忠実で厳正なところにも惹かれたのだと思う。

小学校教師のころ。言葉についても、たくさんの事を自閉症のある子から教えられた。◇教室で「黒板を消して!」などと指示するのは誤りだ。黒板が消えるはずはない。正しくは【緑板に書いてある字と絵を、緑板拭きで消してください】だろう。◇交差点で母が言う「赤が青に変わったら渡ります」青になったが子どもは動こうとしない。正しくは【今点いている赤が消えて、隣りの隣りにある青のランプが点いたら渡ります】だろう。

挙げればきりがない。健常といわれる多くの人々がいかにいい加減に言葉を操っていい加減に生活していることか。自閉症のある人から見れば、「行為・行動とそれに伴う言葉を一致させて真面目に生活してください」と言いたいだろう。
せめて「わたし的に言えば…」とか、自分のことなのに「…そこを何とか値引きしてやってください」などと発言する時には自覚していたいと思う。


                                                  

2014年05月27日 重い自閉症のある子に教えられる健常と言われる人の言葉づかいのいい加減さ はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 子どもの広場 連載記事

トラックバック&コメント

まだトラックバック、コメントがありません。