No202 愛



No202 愛

子どもの価値観をそのまま尊重すること、信じること

以前にも書きましたが、愛の意味を混同している方が少なくありません。
そこで、今回は「愛」に触れます。
「先生は、子どもに関心を持たないように言われますが、子どもを愛してはいけないのでしょうか」
「愛するとは何をすることだとお考えですか」
「わが子を大切な存在として扱うことです」
「具体的には、どう扱っているのでしょうか」
「どう、と申されても愛することは愛することとしか言いようがありません」
皆さんはこの母親の言葉をどう考えますか?

母親は、子どもが好きでたまらないあまり、変わりつつある子どもに、昔のままの自分好みの子どもを求めようとします。こんな愛の結末はしょせん、親としての管理支配欲にとらわれるのがオチです。「愛」という言葉は響きがよいので、ついこんな使い方をしがちです。

私は、思春期病の解決法として、「結論は愛」という言葉をしばしば使いますが、この場合の「愛」は好きでたまらないとは異質なものです。母親の愛が好きの愛なら、私の愛は受けの愛です。好きの愛では、気持ちはこちらから相手に向かっているのに対し、受けの愛では、気持ちは相手からこちらに向かっており、その気持ちを受け止める心こそが受けの愛といえます。

では、思春期病にその愛はどう役立つのでしょうか。
受けの愛の本体は、子どもの価値観をそのまま尊重することで、信じると言い換えることもできます。子どもが不登校をすることは、確かに正しいことではありませんが、子どもは、心がしなびて登校できない状況にあると考えれば、それなりの正当性に気づきます。親としては、不登校を是認しにくいと思いますが、自分を責める必要はありません。自分の価値観はそのままに、子どもの価値観を尊重、受け止めることこそ「愛」だからです。その愛によって、子どもは信じられ任されていることを実感し、今までこもっていたカタツムリの殻から恐る恐る頭をもたげ始めるのです。

好きの愛と受けの愛について、自分の愛がどちらの愛なのか考えてみて下さい。

次回は「怖さ」


                                                  

2014年11月26日 No202 愛 はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 思春期ブルー 連載記事

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