自閉症のある子に寄り添う支援①



自閉症のある子に寄り添う支援①

その子たちの「自分の世界」を受容する

柏を拠点に若者・子ども達の精神的な支援と、それに携わる支援者の研修活動を行う「NPO法人・地域学校精神保健福祉ネットワーク(代表・工藤剛氏)」の定例研修会で、表題のお話をさせて頂く。その折のレジュメから3回程、私見を掲載させて頂きたい。

次の4つは、知的障害も重複する自閉性の重い数人の子ども達に共通する状態である。

❶感覚の特異性=視覚→視界全体は静止していて一部分に動きがある、を好む。聴覚→無音の森の中で1種類の鳥の声が聞こえる、などを好む。嗅覚→単純な臭いがいい。味覚→食材1種類毎の味を好む。触覚→スキンシップを嫌う。

❷欲動は希薄=食欲→そこに有れば食べる。空腹を訴えない。性欲→あるが、相手を求めない。オナニーまで。睡眠→眠くなれば眠る。目覚めはよい。運動→ブランコ・トランポリン・体を回転させる。体の部位を常同的に動かす。一人あそび。排泄欲→ある。トイレを怖がる。△生命力は弱い?

❸情動・情緒は発信しない。苦痛・不安感・恐怖感を訴えない。

❹感情は見え難い。相手と共鳴・共感しない。これらの特徴を紡ぎ合わせ「自閉症のある子像」を描くと、ただ一人「自分の世界」を生きる姿が浮かぶ。
このように、自分の在り方に、困難も苦痛も生きにくさも感じない「自己完結」の子たちに「社会性が乏しい・言葉が出ない・固執が強い」などの指摘は無意味ではないか?いわゆる健常者の都合だけで「障害がある子」と断定して良いのか?身体の障碍・知的な障碍では、その障碍を支援することで社会適応が可能になり、支援を受けることを喜び感謝の念さえ表す。

ところが、自閉症のある子の場合「頼みもしない支援を強いられている」と思うのではないか?むやみに、文化文明を発展させ、それに順応出来ない人間をはじき出す多数の側の傲慢な行為ではないか?もしかすると「私たち、一人一人が住む世界を侵害しないでくれ」と叫んでいるのではないか?

僕は日頃「子どもは、一人一人自分の育ちたいように育つ」と捉えて支援している。このスタンスでの支援を拒むのが自閉症のある子たちである。謙虚な心で向かい合わなければと想う。


                                                  

2016年02月24日 自閉症のある子に寄り添う支援① はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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