3・11の津波で児童74人と一緒に亡くなった10人の先生方を想う…大川小跡地にて。  



3・11の津波で児童74人と一緒に亡くなった10人の先生方を想う…大川小跡地にて。  

「なぜ、子供達を学校と地続きの裏山(A)に避難させないで、約150㍍離れた三角地帯(B)に誘導したのか。」

仙台地裁の判決をY紙で読んだが釈然としないので過日現地に出向き見聞してきた。
(A)は急斜面の密林でどこからでも登れる山ではなかったが、1カ所踏み分けたような小道があって、そこからは1列で、高学年なら自力で・低学年も手を貸してあげれば擦傷を負う子が出る程度で登れると判断した。だが、足場や見通しが悪く、全員避難には時間がかかり点呼など全員掌握は困難であろう。(B)は、片側1車線の道路が交差している小高い地点(標高約7㍍)、視界内では山を除けば唯一の「高台」で体育座りも出来る、全員を掌握し易い。

地震が発生し、子ども達を全員校庭(標高約100㌢)に集合させてから、津波襲来までの間に、大川小の先生方は次のような情報を得ている(Y紙)。(あ)学校に避難してきた地域住人への対応をする。保護者等が迎えに来た児童を個別に下校させる。(い)大川小はハザードマップの浸水域外で、地区の区長も「津波は来ない」と教頭に伝えていた。(う)市広報車が「津波は松林を抜けてきた、高台に避難して下さい」と拡声機で呼びかけながら大川小の前を通る。

大方の教師は、避難訓練で次のことが習慣化している。(ア)出席簿と学級旗を携行し担任する学級児童を速やかに安全な場所に誘導し点呼をとり全員異常なしを校長に報告する。(イ)子供達には、3つのきまり(押さない・喋らない・走らない)を守らせる。(ウ)日常の学校活動でも「学級の全員が整然と行動する」ことを良しとする(東北地方に伝わる「津波の時はてんでんこ」などの行動様式は希である)。

(A)~(ウ)の項目を関連づけて総合的に判断すれば亡くなった10人の先生方の判断と誘導を誤りとは言えない。不運だったのは千年に一度あるかないかの「想定外の地震と津波」だった。10人の先生方の想いを代弁させて頂きたい『自分の死の道連れに教え子を誘う教師は存在しない』。当時、平常の避難訓練で「裏山への避難」を実施し、登るに安全なルートが整備されていたならば先生方は迷わず裏山に避難させたであろう。悔しい、無念です。

亡くなられた全ての皆様の御霊に合掌しご冥福をお祈りいたします。


                                                  

2016年11月30日 3・11の津波で児童74人と一緒に亡くなった10人の先生方を想う…大川小跡地にて。   はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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