風雲の城・関宿城 流れゆく現し世の虚しさ



風雲の城・関宿城 流れゆく現し世の虚しさ

こんな唄がある。

♪夢幻の人の世は 流れる雲か城の跡

苔むすままの石垣に 栄華の姿偲べども 風早々と泣くばかり

この歌は、演歌界を代表する氷川きよしの「白雲の城」の一節だ。

そんな古城がこの東葛地方にも存在する。明治七年に廃城となった野田市の「関宿城」。現代としては、平成七年に博物館として再現された「関宿城博物館」の天守閣である。

 関宿城が築城されたのは長禄元年(1457年)、室町幕府方、古河公方家臣の簗田成助もしくは簗田満助によるものとされている。

 その関宿城が戦乱に巻き込まれたのは、そこに地の利があったからであろう。関宿は、利根川を国境の堀割とする天然の要害を成していたことや、また水上交通の要衝であったことなど、単なる一地域と言うより一国の価値さえあると見なされていたからだ。

当時その関宿城を取り囲んでいた戦国大名は、北東に佐竹義重、北に上杉謙信、また南に北条氏などの大勢力軍団で、関宿城はそうした群雄の渦中に置かれていた。

 天正元年(1573年)に北条氏政が関宿城を攻略した時、上杉謙信が救援に駆け付け三度にわたる合戦となったが、最終的には北条がこれを制する結果となった。ところがその十数年後に北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、城は秀吉の配下に置かれて松平康元の入城となり、やがて徳川家康が天下を取ると、なんなくその所領となっていった。まさに戦国絵巻そのものを見るような変遷となっている。つまり関宿城の存在は、それほどに北関東の要衝とみなされていたのだ。

 時代はやがて明治へと。

もはや武家社会が崩壊すと、その象徴となっていた城―そのものが存在意義を失い、関宿城も明治の新政府によって廃城が決定されて解体されたのだった。

そうした世の侘しさを、冒頭の「白雲の城」はこう結んでいる。

心の褥(しとね)草枕

誰(た)が吹く笛か 琴の音か 

月下に起(た)てる 若武者の凛々しき姿 今いずこ

あゝ荒城の 秋が逝く

人の栄華ほど儚いものはない。流れゆく現し世の虚しさは、今もそしてこれからも続いてゆく。

●県立関宿城博物館

9時~16時30分(月曜休館≪月曜が祝祭日の場合は開館≫、翌日休館)入館料200円。

アクセス 東武アーバンパークライン川間駅から朝日バス境車庫行きで35分。お車の場合、国道16号線、中里陸橋から25分。


                                                  

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2019年02月27日 風雲の城・関宿城 流れゆく現し世の虚しさ はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

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