【我孫子市】バーナード・リーチ碑



【我孫子市】バーナード・リーチ碑

~英国の陶芸家であり、民藝運動を世界に紹介~ 

バーナード・リーチは明治20(1887)年、香港で生まれました。幼少時に母をなくしたため、キリスト教伝道師として日本に住んでいた祖父に引き取られ一時日本に住みました。 

早くから美術に興味をもち、明治39(1906)年にロンドン美術学校に入学、エッチングを学びます。

自身の体験と小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の著作を読んだことから日本に興味を持ち、明治42(1909)年、日本にわたり上野桜木でエッチング教室を起こし、訪れた志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦らと親交を結びました。

また、たまたま見かけた楽焼に魅せられ、六代目尾形乾山に師事し後に免許皆伝を許されました。 

大正5(1916)年、柳宗悦に誘われて我孫子の柳邸(三樹荘)に窯を築いて作陶に打ち込みますが、大正8(1919)年、窯が焼失したのを機に我孫子を離れます。 

我孫子ではまた、地元の宮大工佐藤鷹蔵に指示して家具の製作もしました(旧村川別荘、益子参考館に所蔵)。
 
大正9(1920)年、後に柳たちと民藝運動に取り組む陶芸家、濱田庄司(益子焼で著名)を伴い帰英し、英国南西部コーンウェルの港町セント・アイヴス(St.Ives)でリーチポッタリー(製陶所)を設立します。 

そこでは、英国に古くから伝わるスリップウェア(陶器)と日本の陶器技法を融合させた独特の作品を製作し、また、柳らの民藝運動を世界に紹介しました。 

昭和49(1974)年、リーチの活動を顕彰した記念碑が市民によって手賀沼公園に建てられました。そこには、東洋と西洋の融合という、リーチの理想像が示されています。

リーチは、昭和54(1979)年、92歳の生涯を閉じました。
リーチ碑には彼の筆による巡礼像とともにこうあります。

I have seen a vision of the marriage of East and West.
Far off down the Halls of Time,I heard a childlike voice.
  How long? How long?            Bernard Leach 

 【訳】「私は東洋と西洋の結婚を夢見続けてきた。はるか悠久の彼方から聖童の声を聞いた。  それは いつの日か いつの日か」 


 

【バーナード・リーチ碑】
我孫子市我孫子新田34番(アビスタ駐車場東隣)
JR我孫子駅 南口より徒歩約20分
 

 

資料提供:我孫子市教育委員会 文化・スポーツ課
作成:我孫子インフォメーションセンター「アビシルベ」 TEL04-7100-0014
★我孫子の観光情報についてはアビシルベまで



                                                  

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