No183 私は私



No183 私は私

ある不登校児の母親の話。

「昼夜逆転していた子どもが、突然、朝早く起こしてほしいと言ってきました。前日に友人から誘いの電話がかかっていたので、心境に変化でもあったのかしらと朝起こしましたが、結局起きられませんでした。その時、起きたいのなら自分で起きて、という小さないら立ちと、少し残念さを感じました。ずいぶん前に登校を諦めたつもりでいましたから、心の中に登校への期待が残っていたことに驚きました」

親が不登校と向き合うとき、自分の価値観との衝突に心波立たせる方は少なくありません。不登校を是とする価値観などどこにもないからです。

また、不登校を否定したくても、子どもを登校させることはできません。

初めのうち、不登校との戦いを試みる方もいますが、結局は、諦めるか、自分の価値観をねじ曲げて、不登校を是と考えるようにするか、現実との妥協に落ち着くことが多いようです。

もちろん、妥協には妥協の限界があり、心のつかえに悩まされることになります。

当外来では、登校するのが正しいという親本来の価値観を曲げない方がよい、とお伝えしていますが、「それでは、子どもをかえって苦しめませんか」という当然の質問を受けます。

苦しめるとしたら、それは親の価値観を子どもに押しつけるからで、私は私、子どもは子どもと切り離せばよいこと。

親にとっては登校が正しく、子どもにとっては不登校が正当であると、自他の価値観を切り離し、それぞれが正しいと共存を図ることが、一つの解決策となります。

「共存とはいっても、まだ人並の判断さえ不確かな子どもを切り離しても大丈夫でしょうか」

自立期の子どもにとっては、親から切り離され、自らの意思決定による成功や失敗を実体験する自立モードに入れないと、かえって、価値観の確立さえ覚束なくなるものです。

共存を目指すためには、何よりも親の価値観で子どもを評価しないことが肝要で、私は私、子どもは子どもという意識で子どもと接することが勧められます。

次回は、「考える」。

「東葛まいにち2013年3月13日号掲載」



 


                                                  

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カテゴリ: 思春期ブルー

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