No186 安心



No186 安心

ある母親の話。

「子どもは心がしなびる病気で、まだ登校できるレベルではないと分かっていますが、登校すると安心する私がいます。そんな気持ちが、子どもに無理な登校をさせているかもしれないと、うすうす感じているのですが、どうしたらよいか分かりません」

自分の安心する気持ちに疑問を感じるという、ちょっと鋭い発言。

私達の行動は、自分の意思のみならず脳の指令によって行われていることは、すでにこのコラムで何度か書いてきましたが、脳の指令の最大の目的は、本人の生命を守り、取り巻く状況を心地よい状態に導くことあります。

ですから、心地よければあえてそれに疑義を挟む指令をしないので、自分の心地よさを改めて考えることを人はあまりしません。

この母親の場合、安心を感じる一方で小さな不安が隠れていることを感じとり、その正体を探ったのだろうと思います。その姿勢は、自分の行動を客観視する第三の目が開き始めた証ともいえます。

「安心であっても、私の目が子どもに向いていることが、子どもの自立を邪魔している気がしています」

そこまで分かっていれば、十分だと思いますが、安心したい欲に溺れないためには、気づくたびに、この母親のように自分を振り返ることがとても有効な手段となると思います。

(自分ばかりが心地いい、こんな安心なんて要らない。自分勝手で、我欲に満ちた安心に何の価値があるの。ああ、なんて不快な安心なのでしょう。私はこんな母親を目指してはいない)

理屈では理解できていても、つい心身が反応してしまうことについては、ことあるごとに自分というか脳に言い聞かせることが大切です。

脳は、心地よさを求めて行動の指令を出すと書きましたが、不備な安心がいかに不快、不要なものであるかを繰り返し宣言することで、脳の指令パターンを書き変えてゆくことができます。

その言葉は、より強烈で印象深いものがよく、罵声に近いものであっても一向に構いません。

次回は、「混乱」。

「東葛まいにち」2013年6月26日号掲載


                                                  

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カテゴリ: 思春期ブルー

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