No193 どうするの



No193 どうするの

『どうするの=しばしば命令や強制の意味が含まれる』

不登校、無気力など思春期病に共通する特徴は心のエネルギーの消耗であり、回復のためには心をふくらます算段が不可欠である、とこのコラムで何度も書いています。
そして、心をふくらませる一つの方法として、子どもが自立することを推奨し、親、特に母親からの自立の必要性を訴えてきました。
すなわち、行動の決定権のすべてを子どもにゆだねる対応です。そこでは、親の提案も命令も指示も忠告も一切が自立の障害と考えます。
「登校もできず、勉強さえできないでいる子どもを放っておけということですか」と、不服そうに質問をする親もいますが、「はい、子どもの自立のためには・・」と答えるようにしています。

先日、ある母親が明るい表情で来院しました。
「先生が言われるように、子どもに命令や提案をしないようになれてきたと思います。話すことと言えば、子どもの気持を聞くための『どうするの』くらいです」
「答えは返ってきますか」
「『分からない』と答えるか、黙っています」
「それでも聞くのですか」
「はい、聞かなければ分かりませんから」

実は、こんな形で子どもの自立環境が整えられたと勘違いしている母親が少なくありません。
「どうするの」は、確かに相手の気持ちを聞く言葉に違いありませんが、しばしば命令や強制の意味が含まれることを忘れないでほしいのです。
「職場の上司が『どうするの』と聞いてきたとします。こちらの気持ちを聞こうとしていると思いますか」
「どうする気なんだ!というように聞こえます。私の言葉も子どもにもそう聞こえているのでしょうか」
「おそらく」
「どうすればいいのでしょうか」

親は、黙っている気でも必ず子どもに干渉しているものですが、親本人はほとんどその事実に気づけずにいます。子育ての上での干渉が、なかば習性化した行為となっているので気づきにくいのです。
「どうするの」をはじめとして干渉の言葉の出所は、親の管理支配欲によるものなのですが、親がそれを得心するには多少の時間が必要となります。

次回は、「願い」

「東葛まいにち」2014年2月26日号掲載


                                                  

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