No.165 分岐点



No.165 分岐点

私たちは何か症状が出たとき、すぐに症状を消すことを考えがちですが、本当は、なぜそうした症状が出たのかを考えることも大切です。

なぜなら、症状に意味のないものはなく、すべてなんらかの、脳や体からの「状況を改善せよ!」というアラームと考えられるからです。

例えば、お腹が痛いとき、つい鎮痛剤に手が伸びますが、原因が分からないのであれば、アラームを無視する行為であることを忘れないでいてほしいのです。

これは、思春期病の症状の一つである不登校にもいえることで、必ず原因があるものとしての対応が望まれます。

病気ではなく、怠けではないのか、真面目さが足りないのではないか、と疑う親もおりますが、親自身が怠け者であったり、不真面目であったりしない限りそんなことはありえません。子どもは親の特性をコピーしながら育つものだからです。

もし親に、不登校が腹痛と同じように症状の一つであるという認識があれば、むやみに登校させようとは思わないはずです。お腹の痛みを訴える子どもに「お腹を痛がるのをやめなさい!」という親はいません。

子どもが不登校になったとき、親は、なだめすかして登校させようとしますが、以上のような理由で、子どもの元気がますます失われてゆくのがオチで、状況の改善は望めません。

登校について、子どもたちは親の想像よりもはるかに重要な行為と考えており、半端な理由で登校しなくなることはない、と考えて下さい。

当初は無理でも、親に症状としての認識が生まれると、それを分岐点として、子どもは元気を取り戻し、表情は明るく変わり、状況が上向きになったのを実感できるようになります。

“信じる、黙る、聴く、すべて任せる(SDKS+C)”が効果的なのは、原因治療を目指した方法だからですが、黙ることが難しいと訴える親がいることも事実です。しかし、黙ることが目的ではなく、子どもの価値観を全面的に尊重することにより、子どもに自立のためのスペースを作るのが目的であると理解していてほしい、と思います。

次回は、「きっかけ」。


                                                  

2011年08月10日 No.165 分岐点 はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 思春期ブルー

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