No175 失敗



No175 失敗

失敗は成功の元などと言いますが、もちろん、これは失敗への対応を間違えなかった時の話。

私たちは、実生活の中で多くの失敗をしますが、どちらかというと、対応をするというよりもやり過ごすことが多いように感じます。失敗という不快な体験を引きずりたくないのです。

当思春期外来では、思春期病への対策として、上目線の言動考を排除するために〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる(SDKS)〟ことを目指してもらっていますが、もちろん多くの失敗が起こります。

「いかがでしたか?」
「ちょっとした失敗以外、ほとんど失敗はなかったと思います」

外来での何気ない会話ですが、ちょっとした問題を含んでいます。SDKSを目指す方向性から多少ずれているのです。

厳しい言い方ですが(失敗はなかった)という思いは、SDKSの延長線上のどこにも現れないはずのもの。失敗はいつもどこかに隠れており、その失敗に気づけるスキルを身につけるのがSDKSとさえいえるのです。

それでもなお、上目線の姿勢を排除することを目指す理由は、多くの失敗をしながらも目指そうとする親の心は、子どもの心に映され自立のきっかけとなるからです。

親の力で、なんとか自立させよう、登校させようと手を出し続けても叶わぬことが、意識を変えることで、失敗をしながらでも叶うようになる。不思議なことです。

これまでの子育てが子どもを支配・管理する形であったため、管理・支配するのがなかば習性化している親。つい昔の習性で上目線の言葉が出てしまうのは仕方のないことといえるでしょう。

ですから、失敗する方が当たり前くらいの意識で、失敗に気づこうとする意志を持ち続けることこそが、親としての意識改革につながるのです。

特に〝ちょっとした〟失敗は、ちょっとしたという認識にしかならないため、(今度気をつける)程度の反省でやり過ごすことになり、結果的には、かえって消えにくい失敗になってしまいます。

ちょっとした失敗にこそ気づきを喜ぶ姿勢が、本当の「黙る」に近づく道といえるでしょう。

次回は「後悔」。

「東葛まいにち」2012年6月13日号掲載


                                                  

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カテゴリ: 思春期ブルー

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