No177 緩和語



No177 緩和語

私達は、生活の中でいろいろな悔いや満足を感じながら毎日を送っていますが、その悔いや満足に少なからず影響しているのが言葉です。
不快な思いにつながった体験を悔い、快適な思いにつながった体験に満足する時、私達はそれを自分が感じたままと思っていますが、実は、言葉によってかなり修飾されています。

例えば、人に約束を破られた時、その不快さに「裏切り」という言葉を思い浮かべると、不快さは更に高まりますが、「失念」という言葉であれば、不快さは多少なりとも和らぐものです。

当思春期外来では、子どもの価値観を尊重すること、そして、子育ての要素である親の管理欲・支配欲を弱めてゆくことを目指していますが、親の中には、自分の行動を言葉によって正当化して納得している場合があります。

例えば、「子どもを全面的に支援したいと思っています」という場合の「支援」は、干渉、介入の意味を含みます。

 「子どものことが心配です」の「心配」の本音は、子どもの行動が自分の思いと違うので、いい加減自分の思い通りにさせたい、となります。

 「これまで愛情不足だった気がします」の「愛情不足」は、まだ干渉、介入することに満足できていませんと言い換えられます。

 「何か聞かれたら親身になって考えてあげたい」には、何か聞かれたら、親としての価値観を押しつけたい、という下心が隠れています。

 「きちんと食事を作り、風邪をひかさないようにしたい」という言葉は、養育という名の元に、管理・支配という親の既得権を手放したくない宣言と読み解けます。

こうした言葉は、思春期病の子どもへの対応に関して一応の理解をした親たちの言葉です。多くの場合、親本人は気づかずに使っているのですが、意図的ではないとはいえ、本来の言葉の意味を和らげて自らの行為を正当化する言葉遣いを、当外来では緩和語と呼んでいます。

その口当たりのよさに誘われてつい口をつく緩和語。信じる、受け容れるなども同様に緩和語になる危険性をもっています。ご注意を。
次回は「連鎖」。

「東葛まいにち」2012年8月8日号掲載


                                                  

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カテゴリ: 思春期ブルー

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