No.146 共存
不登校の子どもについて「学校へ行かない権利を認めよう」という主張があり、不登校児に対する正しい心づかいのように思われていますが、当外来では、権利を認める立場をとっていません。
こんな書き方をすると、「思春期の問題を扱う人間として不見識ではないか」と、お叱りを受けそうですが、当外来は、学校へ行かない権利を認められるような立場にはないのです。
思春期病の治療法として、SDKS(信じる、黙る、聴く、すべて任せる)ことをお勧めしていますが、決して、上から目線で信じたり、任せたりすることではありません。
むしろ、下から目線か、せいぜい対等な目線での対応を目指しているので、権利を認めるという上からの姿勢は、当外来には馴染まないのです。思春期以上の子どもであれば、登校に関する自由など、始めからもっているという考えで十分でしょう。
親である人間が、上から目線にならないためには、親としての意識から変える気構えがなくてはなりません。その意識とは、他者(子ども)の価値観を、自分の考えと異なっていても、正当なものと認めようとする姿勢です。
私たちは、つい自分の価値観との照らし合わせで、他者(子ども)の価値観を評価しがちですが、他者(子ども)は他者なりの正当な価値観をもっている、という意識をもつことによって、形ばかりでないSDKSを行えるようになるのです。
「普通の人間にそんなことができるのか」という当然の疑問が起こりますが、これはあくまでも行動目標であり、(そうありたい)という意識をもてるかどうかの問題なのです。
意識だけでいいのでしょうか?
是です。完璧ではなくとも、他者の価値観と自分の価値観を共存・共生させる意識をもっていれば、それは必ず行動に反映されるからです。
一方、何も意識せずにいれば、つい自分の価値観を優先する方向に走ってしまうでしょう。親であれば、子どもに自分の価値観を押し付ける、相も変らぬ子育てを続けることになります。
次回は、「後悔と反省」
「東葛まいにち」2009年12月9日号掲載
2009年12月09日 コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |
カテゴリ: 思春期ブルー
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