No.148 逆転の発想
子どもを「信じ、認める」ことをお勧めしていますが、(信じているぞ)、(認めているぞ)という言動は、なかなか実感しにくいものです。時には、何もしないことが、信じ、認めることである場合すらありますから、なおさらです。
そんな理由で、初めは意気込んで始めた「信じ、認める」も、具体的な感触がつかみにくいために、次第に、なんとなく信じ、認めている気分でお茶を濁すことになりかねませ
ん。
「少し子どもを信じられるようになったと思います」と母親。
「具体的に、お子さんの何を信じられるようになったのですか?」
「・・・」
という具合です。
そこで、ちょっと発想を逆転して、信じる言動や認める言動を目指すのではなく、信じていない言動、認めていない言動を積極的に見つけ出し、削り落としてゆく方法をお勧めしています。
私たち凡人にとっては、信じる言動よりも信じていない言動のほうがはるかに多いので、間違い探しをするほうが、より「信じ、認める」を意識するチャンスに恵まれるとい
う計算です。
人を信じ、認めたいと思ったとき、結局は自分の価値観との折り合いをどうつけるか、という問題になりますが、普通にしていては我欲が優先されるので、頭の中に、いつでも(信じ、認めたい)という意識を呼び出せるようにしておくことが大切なのです。そのための間違った言動探し。
意識していると、山ほどの間違いに気づくでしょう。めげそうになるかもしれません。ですが、ちょっと冷静になれば、これまでそれだけたくさんの間違いを垂れ流ししてきた、と反省できますし、その気づきを喜ぶこともできるはずです。
このやり方を、ある程度頑張って試していても、相変わらず間違えている自分がいるかもしれませんが、そんな時には、(そのくらい難しいことを目指し
ている)と考えればいいでしょう。
反省はするが後悔はしない、が間違い探しのコツ。やがて、これまで気になって仕方なかったことが、うその様に気にならなくなってゆきます。信じるとはそんな感覚なのです。
次回は「逃避」。
「東葛まいにち」2010年2月10日号掲載
2010年02月10日 コメントは受け付けていません。 | トラックバックURL |
カテゴリ: 思春期ブルー
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