No.149 逃避

No.149 逃避

前回、子どもを信じ、認める方法として、信じ、認める言動を目指すよりも、信じていない、認めていない言動を見付け出し、削り落としてゆく方が効果的だとお伝えしました。


そして、それがうまくゆくようになると、これまで気になって仕方がなかったことも、うそのように気にならなくなる、と書きました。

子どもが不登校となり、親の対応として〝信じる、黙る、聴く、すべて任せる(SDKS)〟努力を続けてきたある母親の話。
「子どもに限らず、夫や姑の言動についてさえ、自分の価値観と違っていても、イライラと気に障ることがなくなりました。
その分、私自身はとても楽です」
「いい感じですね」
「ただ、疑問というか、ちょっと不安があります。気にならないのはいいのですが、ひょっとして、それは無視とか逃避では
ないのか、という不安です」

この不安はSDKSの努力を行っている方が時々訴えること。SDKSの目指すところは、自分と異なる他者の価値観をそれはそれとして正しいと認め、共存・共生を図ることなので、その意識を高めてゆくにつれて、「気にならない」という境地に達するのです。

他者を信じ、認める感覚として、もう少し高い精神状態を予測していた方にとっては「気にならない」では、少し物足らないゆえの不安かもしれません。

では、無視、逃避と「気にならない」を、どのように判別したらよいでしょうか?

「逃避かもしれない、と思われたとき、お子さんの発言や行動について、どんな気持ちでいましたか?」
「(そんな考え方もあるのかしら)という思いだったと思います」
「でしたら、逃避とはいえないでしょう」

無視や逃避する行動は、基本的には、相手に対する否定的、拒否的な姿勢なので、(そんな考え方もあるのかしら)と、軽く受け流せるものではありません。たとえ受け流すとしても、それ相応の我慢が必要ですし、多少なりとも不快さが残るものだからです。

次回は「頼むこと」。

「東葛まいにち」2010年3月10日号掲載

                                                  

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