「兄妹の献身 母の最期を看取る」 命のバトンを繋ぐランナー



「兄妹の献身 母の最期を看取る」 命のバトンを繋ぐランナー

先月、学園生優君(18)と礼さん(15)兄妹の母親が亡くなられた。

49歳。家族3人の母子家庭。がんをわずらっていたが医者には掛からず民間療法で闘病されていた。

兄妹2人は母親の願いに応えて、レンコンのシップ、玄米の食事、足湯など、時間と手間のかかる手伝いをいとわず続ける。

だんだん病状が重くなり、2人の手伝いは手伝いの域をはるかに超え大人でも困難と思われる完全看護・看病であった。

2人は懸命に母親のために応える。

今年の冬、母親の自動車免許更新の時期には、歩くのを2人で両側から支えて免許センターまで行った。

母親の「元気になって可愛い子ども達と一緒に生きたい」想いと、その想いを全身で受け止める2人。

食べ物を飲み込めなくなった時には離乳食のようにすりつぶして食べさせてあげたと言う。

母親の闘病を3人一丸となっての闘病として支え、それのみで日々を生きる家族であった。母親を生き続けさせることが、3人の毎日を満たし、家族を強く結びつけた。

この事実に衝撃をうけた。連絡を受けてかけつけると、2人は、僕の腕に取りすがって「ウッチー、母さんが…」と号泣する。背中をさする他に何もできない。

人間が人間として生きる上で、普遍的に遵守しなければならない規範が生活の根底にある家庭で育つ子は、生きることに自己の全エネルギーを放出する、と考えていたが、母親と優君と礼さんとの3人の結びつきは、もっと根源的な生命(いのち)同士の合体のような関係に思われてならない。

もはや言葉はいらない。1人が痛みを感じると他の2人も同時に痛みを感じるような関係に思われる。

この3人に「規範」を説くことは無意味。兄妹は母と生き、母と痛みを共にし、臨終を見届ける体験を通して、自分達も生きてやがて死ぬものであるという厳粛な事実を全感覚を通して感じ取っている。

時の流れと共に「命のバトンを繋ぐランナー」として存在している自己を自覚して生きる意欲を持ち、自己実現の道を歩むだろう。

相互に信愛の関係で結ばれる家庭で育っている2人は、情緒・感情を素直に表出し合えて、情操の素地も形成され優しさと豊かな感受性が育っていく。

合掌。

「東葛まいにち」2013年8月28日号掲載




                                                  

2013年08月26日 「兄妹の献身 母の最期を看取る」 命のバトンを繋ぐランナー はコメントを受け付けていません。 | トラックバックURL |

カテゴリ: 子どもの広場

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