「二人の先生」考え方も教えることも違う?〈昔話〉



「二人の先生」考え方も教えることも違う?〈昔話〉

ある日の全校朝礼(今の朝会)のことでした。

校長先生の次に、中沢先生が朝礼台に上がりました。先生はいつもの大声で「これを見なさい」と、高々と青龍刀(中国の薙刀形の刀)を持ち上げて言いました。「これは日本軍がチャンコロから分捕ったものだ。支那(今の中国)などは、日本軍にかかったらひとたまりもない。全くの腰抜けだ」。「ワーッ!ワーッ!」500人余りの子どもたちから歓声があがり、拍手がわきました。中沢先生は得意げに子ども達を見回しました。

その頃、ボクは小学校2年生、前の年の7月7日に日華事変が勃発していました。中沢先生は、陸軍軍曹(予備役)で勢いのいい先生でした。ボクたちの担任ではなかったのですが、生意気なことをすると誰彼無しになぐられました。

朝礼が終わり教室へ戻ってからも、その話で持ち切りでした。「あんななまくらな刀で日本人が切れるものか。日本刀には大和魂が宿っている」などと。

そこへ、担任の武藤先生が入ってこられました。いつもの優しいにこやかなお顔と違い、深刻に何かを思いつめられたような様子で「さっき中沢先生が話されたことをどう思いますか」と静かに問われました。

今まで興奮して話し合っていたボクたちは、どういう意味か分からずにキョトンとして、先生のお顔を見つめていました。
しばらくの沈黙のあと「中沢先生は、支那の人のことをチャンコロと言い、全く弱いやつらだとおっしゃいましたが、支那の人たちも私たちと同じ人間です。もっと仲良くしようという気持ちを持たなければならないと思います」と仰いました。

ボクは、驚きました。

武藤先生も中沢先生も、同じ学校の先生なのに考え方も教えることもまるで違っている…。

武藤先生は、その年の4月から学校に居なくなりました。お別れ式もしないでどこかに行ってしまいました。

戦後、ボクは小学校教師になりました。そしたら無性に武藤先生にお会いしたいと思うようになりました。八方手を尽くしましたが先生の行方はとうとう分かりませんでした。

「東葛まいにち」2010年11月10日号掲載


                                                  

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