No.160 教師の在り方



No.160 教師の在り方

恩師・古川清行先生(本園協力者)が亡くなられた。

教師時代、教育とは何か・子供が自主的に学ぶとは…
一人ひとりの個性特性を尊重するには…
学級の子供全員が楽しく意欲的に学ぶ授業づくりは…
など、教育のすべての分野にわたって構造的に薫陶を頂いた。

「教師が黒板を背にして立ち、整然と机に付いている子供たちに教えるだけが授業ではない」の一言が喫茶店風の教室形態での授業を創るキッカケになった。
「教師は子供たちの中の優れた一員でなければならない」も、とかく陥りやすい教師と子供のタテの結びつきを問い直すヒントであった。

教師の在り方については、ことのほか厳しい。

【教師というのは因果なもので、実は未完成な人格であるのに、完成されたものとして扱われやすい。子供を人質にとられた父母が、担任の教師に、あたかも珍重の気配をにじませながら接する。教室に入れば子供たちが、「絶対者」であるかのごとくに迎えるなどというのも、それの表れである。情けないことに教師の中には、そのことに慣れて、「自分は一人前だ」「自分の考えや行動は正当であり是認されているのだ」などと錯覚する者がいる。また、「自分の考えに合わないものは悪だ」などとおこがましい判断をする者も少なくない。そのような教師に限って、自分の意にそった動きをする子供が多いと「うまくいっている」などと自己満足する。反対に、子供たちの反応が鈍いと、「わが学級には、何と質の低い子供が多いことか」などと嘆く。(以下略)「半玄庵消息19」より】
とおっしゃる。

先生を中心とした教師の自主研究会「無門会」の例会では、教育エッセー「半玄庵消息」を配布して、具体的な事例を挙げながら諭すように解説され、教師の在り方を猛省するよう促すのでした。

お通夜の夜遅く、先生の著作を開いていて前述の「求道者としての教師の在り方」に接し改めて拝読した。どんなに歳を重ねても子供と共に在る限り、いついかなる時も、この言葉を肝に銘じていなければならないと思うのであった。

合掌。

「東葛まいにち」2009年4月8日号掲載


                                                  

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