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	<title>東葛まいにち &#187; 人物</title>
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		<title>世界七大陸最高峰のガイド－倉岡裕之さん（49・我孫子市在住）</title>
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		<pubDate>Tue, 07 Sep 2010 21:03:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[我孫子]]></category>
		<category><![CDATA[スポーツ]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[エベレスト南面にて倉岡さん（右）
「東葛まいにち」2010年9月8日号掲載倉岡裕之さん（49・我孫子市在住）は、世界中を股にかけて活躍する上級山岳登攀ガイド（日本山岳ガイド協会所属）。登山客を安全に山頂へ導き、無事に下山させることが彼の仕事だ。
エベレスト、エルブルース、アコンカグア、ビンソンマッシフ、カルステンツ、マッキンリー、キリマンジャロの世界七大陸最高峰をガイドした日本人は倉岡さんが初めて。
世界最高峰のエベレスト（８８４８ｍ）には４回登っており、日本人では２番目の記録となる。
小学５年生の時、本屋で偶然見かけた登山入門書の表紙―剣岳でのロッククライミング―に釘付けになって以来、山のとりこに。
初登山は中学３年の時。25kgのザックを担いで一人で神奈川県の丹沢山塊を縦走した。小遣いで買った５mmのロープを使って自己流で岩登りも始めた。通常はもっと太いクライミングロープを使うため「今思うと随分危ないことをやってましたね」と笑う。
高校時代は、友人と秩父の山や筑波山へ足繁く通い、ロッククライミング三昧。大学進学後に先鋭的な社会人山岳会に入会し、安全面について学んだ。
25歳の時にクライミングの事故で骨盤を骨折する大けがを負い、一線から引退。海外登山ツアー会社に就職し、プロのガイドとして高峰登山や辺境の地への冒険ツアーを手掛けてきた。現在はフリーで公募登山のガイドを務め、１年の半分近くを海外の高峰で過ごす。
おすすめの山を尋ねると「日本の山は清流があって花が咲いていて、自然の大きさが丁度いい。食べ物もおいしいし、最高ですよ」。そして「日本の中高年の女性は、世界的にみても持久力が強い」と太鼓判。山登りを楽しんでほしいと言う。
今年５月、エベレスト山頂で「祝・あびこ市制40周年」の幕を掲げて撮影した写真を我孫子市へ送った。８月21日に行われた「我孫子山の会創立20周年記念講演会」で、使用した幕（実はピローケース）が星野順一郎我孫子市長へ贈呈された。スクリーンに映し出された雄大な景色と倉岡さんのユーモアあふれる解説に、観客らは興味深く聞き入っていた。
▼山岳ガイド　倉岡裕之のページhttp://www.hiro-kuraoka.com/
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_2816" class="wp-caption alignleft" style="width: 245px"><img class="size-full wp-image-2816" title="kuraoka" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/09/kuraoka.jpg" alt="" width="235" height="175" /><p class="wp-caption-text">エベレスト南面にて倉岡さん（右）</p></div>
<p>「東葛まいにち」2010年9月8日号掲載倉岡裕之さん（49・我孫子市在住）は、世界中を股にかけて活躍する上級山岳登攀ガイド（日本山岳ガイド協会所属）。登山客を安全に山頂へ導き、無事に下山させることが彼の仕事だ。</p>
<p><span id="more-2815"></span>エベレスト、エルブルース、アコンカグア、ビンソンマッシフ、カルステンツ、マッキンリー、キリマンジャロの世界七大陸最高峰をガイドした日本人は倉岡さんが初めて。<br />
世界最高峰のエベレスト（８８４８ｍ）には４回登っており、日本人では２番目の記録となる。</p>
<p>小学５年生の時、本屋で偶然見かけた登山入門書の表紙―剣岳でのロッククライミング―に釘付けになって以来、山のとりこに。</p>
<p>初登山は中学３年の時。25kgのザックを担いで一人で神奈川県の丹沢山塊を縦走した。小遣いで買った５mmのロープを使って自己流で岩登りも始めた。通常はもっと太いクライミングロープを使うため「今思うと随分危ないことをやってましたね」と笑う。</p>
<p>高校時代は、友人と秩父の山や筑波山へ足繁く通い、ロッククライミング三昧。大学進学後に先鋭的な社会人山岳会に入会し、安全面について学んだ。</p>
<p>25歳の時にクライミングの事故で骨盤を骨折する大けがを負い、一線から引退。海外登山ツアー会社に就職し、プロのガイドとして高峰登山や辺境の地への冒険ツアーを手掛けてきた。現在はフリーで公募登山のガイドを務め、１年の半分近くを海外の高峰で過ごす。</p>
<p>おすすめの山を尋ねると「日本の山は清流があって花が咲いていて、自然の大きさが丁度いい。食べ物もおいしいし、最高ですよ」。そして「日本の中高年の女性は、世界的にみても持久力が強い」と太鼓判。山登りを楽しんでほしいと言う。</p>
<p>今年５月、エベレスト山頂で「祝・あびこ市制40周年」の幕を掲げて撮影した写真を我孫子市へ送った。８月21日に行われた「我孫子山の会創立20周年記念講演会」で、使用した幕（実はピローケース）が星野順一郎我孫子市長へ贈呈された。スクリーンに映し出された雄大な景色と倉岡さんのユーモアあふれる解説に、観客らは興味深く聞き入っていた。<br />
▼山岳ガイド　倉岡裕之のページ<a href="http://www.hiro-kuraoka.com/">http://www.hiro-kuraoka.com/</a></p>
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		<title>障害を抱え…でも「なんとしてでも生きていたい」－強い意思の岡嵜裕美さん</title>
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		<pubDate>Tue, 13 Jul 2010 21:08:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[柏]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[オカリナを吹いてみせる裕美さん
「死にたい衝動に駆られる」「物事を持続することができず、仕事が長続きしない」などの症状が見られる『境界性パーソナリティ障害』と診断されて通院中。２年ほど前から、生活の不安を抱えながらも「パンでも盗んでお巡りさんの世話になってでも生きていたい」と、強い意思を見せた。
「内堀先生と出会えてよかった。信頼できる人を見つけ、感性や情に触れた気がします。今はリストカットも薬物過剰摂取もしていないです。私が死ぬと悲しがる人がいると感じるから・・・・」フリースクール「ゆうび小さな学園」のサブリーダー岡嵜裕美さん（30）は優しい眼差しでほほ笑んだ。
小学６年の時から不登校のまま１日も学校に通うことなく中学を卒業した。その後、人との出会いを通してさまざまな経験をし、大検も取得した。
しかし、その間に病気の友達を亡くした。夜中、「死ぬような気がする助けて。今すぐ会いたい」と彼女からＳＯＳの電話を受けた。「いつもと違う。大変だ」と思いつつも真夜中、「でもきっと大丈夫」と、その時はハッピーエンドしか思っていなかった。彼女の妹から訃報の電話が入ったのは、それから１ 週間後だった。
「どうして会いに行かなかったんだろう。どうして彼女の気持ちを分かってあげられなかったんだろう。分かってあげられたのではないだろうか」と後悔の念が裕美さんを苦しめた。
さらに「生きていてなんで若くて死ぬのだろう」と考えれば考えるほど、気持ちが落ち込み、引きこもった。22歳の時だった。
時間とともに落ち着いてきた裕美さんは、知人の会社で正社員として仕事をしていたが、何か物足りなさを感じていた。それは今まで経験してこなかった「学生生活を体験してみたい」という強い思いだった。
そして憧れの大学に入学。友達もできた。だが、以前のトラウマからか病んでいる友達を見放すことはできず「助けたい」と頑張った。でも、それがあだとなり、身も心もズタズタになり、中退を余儀なくされた。「講義は楽しかった」と裕美さんは振り返る。
大学の時、レポートを書くためにフリースクールを探していたところ、同学園を知り、内堀照夫代表に会った。「中学の時見学に行ったことがあるのよ」と母から聞き、不思議な縁を感じたらしい。
24歳の時、ここでボランティアとして参加。現在はスタッフとして仕事をし、２年前からオカリナを習っている。「夢はお金の掛からないフリースクールを作ること」と、病気と闘いながらも一生懸命に生きている裕美さんの姿がまぶしかった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_2522" class="wp-caption alignleft" style="width: 130px"><img class="size-full wp-image-2522" title="okazaki" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/07/okazaki.jpg" alt="" width="120" height="154" /><p class="wp-caption-text">オカリナを吹いてみせる裕美さん</p></div>
<p>「死にたい衝動に駆られる」「物事を持続することができず、仕事が長続きしない」などの症状が見られる『境界性パーソナリティ障害』と診断されて通院中。２年ほど前から、生活の不安を抱えながらも「パンでも盗んでお巡りさんの世話になってでも生きていたい」と、強い意思を見せた。</p>
<p><span id="more-2521"></span>「内堀先生と出会えてよかった。信頼できる人を見つけ、感性や情に触れた気がします。今はリストカットも薬物過剰摂取もしていないです。私が死ぬと悲しがる人がいると感じるから・・・・」フリースクール「ゆうび小さな学園」のサブリーダー岡嵜裕美さん（30）は優しい眼差しでほほ笑んだ。</p>
<p>小学６年の時から不登校のまま１日も学校に通うことなく中学を卒業した。その後、人との出会いを通してさまざまな経験をし、大検も取得した。</p>
<p>しかし、その間に病気の友達を亡くした。夜中、「死ぬような気がする助けて。今すぐ会いたい」と彼女からＳＯＳの電話を受けた。「いつもと違う。大変だ」と思いつつも真夜中、「でもきっと大丈夫」と、その時はハッピーエンドしか思っていなかった。彼女の妹から訃報の電話が入ったのは、それから１ 週間後だった。</p>
<p>「どうして会いに行かなかったんだろう。どうして彼女の気持ちを分かってあげられなかったんだろう。分かってあげられたのではないだろうか」と後悔の念が裕美さんを苦しめた。<br />
さらに「生きていてなんで若くて死ぬのだろう」と考えれば考えるほど、気持ちが落ち込み、引きこもった。22歳の時だった。</p>
<p>時間とともに落ち着いてきた裕美さんは、知人の会社で正社員として仕事をしていたが、何か物足りなさを感じていた。それは今まで経験してこなかった「学生生活を体験してみたい」という強い思いだった。</p>
<p>そして憧れの大学に入学。友達もできた。だが、以前のトラウマからか病んでいる友達を見放すことはできず「助けたい」と頑張った。でも、それがあだとなり、身も心もズタズタになり、中退を余儀なくされた。「講義は楽しかった」と裕美さんは振り返る。</p>
<p>大学の時、レポートを書くためにフリースクールを探していたところ、同学園を知り、内堀照夫代表に会った。「中学の時見学に行ったことがあるのよ」と母から聞き、不思議な縁を感じたらしい。</p>
<p>24歳の時、ここでボランティアとして参加。現在はスタッフとして仕事をし、２年前からオカリナを習っている。「夢はお金の掛からないフリースクールを作ること」と、病気と闘いながらも一生懸命に生きている裕美さんの姿がまぶしかった。</p>
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		<title>『百歳thank you展』 画家・山河　虹さん～20日から個展を開催</title>
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		<pubDate>Tue, 13 Apr 2010 22:00:18 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[柏]]></category>
		<category><![CDATA[イベント]]></category>
		<category><![CDATA[シニア]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[自作を手に虹さん
4月7日に１００歳を迎えた画家・山河虹さん（本名遠藤佐和子、柏市藤心在住、自由美術協会会員）の「百歳t h a n k 　you展」が20日から25日の10時30分から19時（最終日17時）、アートギャラリー花樹（かじゅ）＝柏駅西口徒歩３分＝で開かれる。
２００２年に本紙で「92歳のばんば」虹さんを紹介した。あれから８年、「自由と権利を保障してください」と嫁いできた嫁の富子さんに言ったという言葉と「１２０歳まで生きて良い絵を描いていきたい。これから勉強よ」と話したことが印象的だったばんば。とにかく自然の中を歩くことが好きで、おしゃれに深い関心を持っていた。
転んで大腿部頸部骨折で入院、手術を余儀なくされた96歳秋までは、スケッチブック片手に、商店街のいろいろな店に立ち寄るなど、毎日毎日４、５kmの距離を歩いていたという。骨折後、９カ月間は全く絵を描くことはなかったが次の年、秋の自由美術展に向けて再び筆を持った。それ以後は毎年、同美術展に出品してきた。
骨折しても寝たきりにならなかったらしく、塀を伝って出て行こうとするばんばを、近所の人が連れ戻したこともあったとか。「絵描きですから非常にわがまま、自由奔放な人で、いろいろなお宅にご迷惑を掛けたようです。『町で見守っていただいたなあ』と思うのが家族の実感です」と息子の哲人さん。
そして09年秋、白寿の月、太陽、夢と「白寿３部作」を描き上げた。だがその直後の12月23日、徹夜で新作に取り掛かっている時に脳梗塞を発症、再び入院した。
現在、認知症、左麻痺、言語障害などと戦いながらも、底抜けに明るく天真らんまんなばんばは、口癖の「t h ank　you」を連発、家族やデイサービス「ほがらか」などのスタッフらに支えられ、元気に楽しく暮らしている。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1990" class="wp-caption alignleft" style="width: 176px"><img class="size-full wp-image-1990" title="niji" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/04/niji.jpg" alt="" width="166" height="200" /><p class="wp-caption-text">自作を手に虹さん</p></div>
<p>4月7日に１００歳を迎えた画家・山河虹さん（本名遠藤佐和子、柏市藤心在住、自由美術協会会員）の「百歳t h a n k 　you展」が20日から25日の10時30分から19時（最終日17時）、アートギャラリー花樹（かじゅ）＝柏駅西口徒歩３分＝で開かれる。</p>
<p><span id="more-1988"></span>２００２年に本紙で「92歳のばんば」虹さんを紹介した。あれから８年、「自由と権利を保障してください」と嫁いできた嫁の富子さんに言ったという言葉と「１２０歳まで生きて良い絵を描いていきたい。これから勉強よ」と話したことが印象的だったばんば。とにかく自然の中を歩くことが好きで、おしゃれに深い関心を持っていた。</p>
<p>転んで大腿部頸部骨折で入院、手術を余儀なくされた96歳秋までは、スケッチブック片手に、商店街のいろいろな店に立ち寄るなど、毎日毎日４、５kmの距離を歩いていたという。骨折後、９カ月間は全く絵を描くことはなかったが次の年、秋の自由美術展に向けて再び筆を持った。それ以後は毎年、同美術展に出品してきた。</p>
<p>骨折しても寝たきりにならなかったらしく、塀を伝って出て行こうとするばんばを、近所の人が連れ戻したこともあったとか。「絵描きですから非常にわがまま、自由奔放な人で、いろいろなお宅にご迷惑を掛けたようです。『町で見守っていただいたなあ』と思うのが家族の実感です」と息子の哲人さん。</p>
<p>そして09年秋、白寿の月、太陽、夢と「白寿３部作」を描き上げた。だがその直後の12月23日、徹夜で新作に取り掛かっている時に脳梗塞を発症、再び入院した。<br />
現在、認知症、左麻痺、言語障害などと戦いながらも、底抜けに明るく天真らんまんなばんばは、口癖の「t h ank　you」を連発、家族やデイサービス「ほがらか」などのスタッフらに支えられ、元気に楽しく暮らしている。</p>
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		<title>「国際氷彫刻大会」３位－ヒルトン東京ベイシェフ・根本一夫さん</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/news/matudo/%e3%80%8c%e5%9b%bd%e9%9a%9b%e6%b0%b7%e5%bd%ab%e5%88%bb%e5%a4%a7%e4%bc%9a%e3%80%8d%ef%bc%93%e4%bd%8d%ef%bc%8d%e3%83%92%e3%83%ab%e3%83%88%e3%83%b3%e6%9d%b1%e4%ba%ac%e3%83%99%e3%82%a4%e3%82%b7%e3%82%a7.htm</link>
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		<pubDate>Tue, 09 Mar 2010 22:00:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[松戸]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[メダルと賞状を手にする根本シェフ
「自分で納得できない部分もあるが、３位を取れてうれしい」と語る・ヒルトン東京ベイシェフの根本一夫さん（54・松戸市在住の）。１月に中国・ハルビン市で開催された「国際氷彫刻大会」で３位に入賞した。
同大会は世界的に有名な氷と雪の祭典の一環で、国際的にも世界最高峰の一つの大会と位置付けられ、アメリカ、ロシア、中国など７カ国から21チームの芸術家や職人、総勢43人が参加した。
氷彫刻仲間の木村裕昭さん（群馬在住）とペアを組んだ根本さんは、「世界の人々に希望を持って欲しい」と、半年前から構想を練っていた、手に希望の光を持った女性像を完成させた。制作は、零下10から20度という厳しい寒さの中で行われ、川から切ってきた高さと横が２m、厚さ60cmの自然の氷の塊を、チェーンソーや電動ドリル、ノミを使い８時30分から21時（食事休憩のみ）まで３日間の日数を費やした。
　
20歳の頃、仕事先のシェフが作って見せてくれた氷彫刻の美しさに感動、「自分もいつかやる」と決心した。４年後、日本の氷彫刻家の第一人者のもとで直接学ぶ機会を得て、約１年間研さんを積んだ。その後はせっけんや発砲スチロールを素材に練習を重ね、26、７歳の時、初めて大会に出た。
３位に入賞した作品
１９９６年には「夏季全国大会」で優勝。98年、「大山雪と氷の祭り彫刻大会」優勝、00年の「世界選手権」３位、08年「ロシア国際芸術祭」で２位に入賞するなど、氷に魅せられて30年、北海道から九州、アラスカ、ハワイ、オーストラリアなどさまざまな大会に出場、国内外で数々の賞を受賞している。
今は「賞よりも自分に満足するものがどれだけ彫れるかに自分の興味が変わった。氷は生ものだから彫る前、最中、彫った後、すべて計算している」と言い、氷の透明感や作品がとけてくる様がまた、魅力の一つらしく、「氷のとけた状態の作品も楽しめるんです」とシェフは目を細めた。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1729" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><img class="size-full wp-image-1729" title="nemoto" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/03/nemoto.jpg" alt="" width="150" height="228" /><p class="wp-caption-text">メダルと賞状を手にする根本シェフ</p></div>
<p>「自分で納得できない部分もあるが、３位を取れてうれしい」と語る・ヒルトン東京ベイシェフの根本一夫さん（54・松戸市在住の）。１月に中国・ハルビン市で開催された「国際氷彫刻大会」で３位に入賞した。</p>
<p><span id="more-1728"></span>同大会は世界的に有名な氷と雪の祭典の一環で、国際的にも世界最高峰の一つの大会と位置付けられ、アメリカ、ロシア、中国など７カ国から21チームの芸術家や職人、総勢43人が参加した。</p>
<p>氷彫刻仲間の木村裕昭さん（群馬在住）とペアを組んだ根本さんは、「世界の人々に希望を持って欲しい」と、半年前から構想を練っていた、手に希望の光を持った女性像を完成させた。制作は、零下10から20度という厳しい寒さの中で行われ、川から切ってきた高さと横が２m、厚さ60cmの自然の氷の塊を、チェーンソーや電動ドリル、ノミを使い８時30分から21時（食事休憩のみ）まで３日間の日数を費やした。<br />
　<br />
20歳の頃、仕事先のシェフが作って見せてくれた氷彫刻の美しさに感動、「自分もいつかやる」と決心した。４年後、日本の氷彫刻家の第一人者のもとで直接学ぶ機会を得て、約１年間研さんを積んだ。その後はせっけんや発砲スチロールを素材に練習を重ね、26、７歳の時、初めて大会に出た。</p>
<div id="attachment_1730" class="wp-caption alignright" style="width: 210px"><img class="size-full wp-image-1730" title="ice_carbing" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/03/ice_carbing.jpg" alt="" width="200" height="150" /><p class="wp-caption-text">３位に入賞した作品</p></div>
<p>１９９６年には「夏季全国大会」で優勝。98年、「大山雪と氷の祭り彫刻大会」優勝、00年の「世界選手権」３位、08年「ロシア国際芸術祭」で２位に入賞するなど、氷に魅せられて30年、北海道から九州、アラスカ、ハワイ、オーストラリアなどさまざまな大会に出場、国内外で数々の賞を受賞している。</p>
<p>今は「賞よりも自分に満足するものがどれだけ彫れるかに自分の興味が変わった。氷は生ものだから彫る前、最中、彫った後、すべて計算している」と言い、氷の透明感や作品がとけてくる様がまた、魅力の一つらしく、「氷のとけた状態の作品も楽しめるんです」とシェフは目を細めた。</p>
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		<title>2009年「東葛文芸」年間最優秀賞－俳句・高橋弘子さん</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/news/kashiwa/bungei_haiku.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/news/kashiwa/bungei_haiku.htm#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 04:08:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[柏]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.bunya.ne.jp/?p=1437</guid>
		<description><![CDATA[俳句とシンビジュームや胡蝶蘭作りを楽しむ高橋弘子さん（69・柏市）は毎年、株を増やし育て、美しい花を咲かせている。その数20株。多い時は30株ほどあったらしく、20年以上たつ年期の入った見事な大株のシンビジュームは自慢の一つ。
俳句との出合いは、女子高校で教師をしていた24、５歳の頃。恩師の勧めで結社「みちのく」に入り、５、６年続けた。その後結婚、子育てに忙しく中断。再び始めたのは58歳の時、友人の勧めで俳句結社『海』に入会、05年同人になった。36年の教員生活に幕を閉じた後、ボランタリーグループ生涯現役ときわ会の俳句部会「若葉会」にも入会した。
07年９月に初心者のための「初めての俳句の会・双葉会」をかまつか柏句会・藤岡貞夫支部長とわかば俳句会・杉山正則代表とともに立ち上げ、現在18人の会員が活動している。
俳句を通して「学ぶことが多い。覚えた字も多く、世の中に知らなかったことがこんなにあったのかと感心する」と笑う。そして「俳句は季語を覚えないと」と毎年、月ごとの歳時記を手作りし、女性が書いた時代小説はほとんど読んだ。短冊に毛筆で自作の句を書くためにいま、書道も勉強中だ。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="alignleft size-full wp-image-1436" title="3-1takahashi" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2010/01/3-1takahashi.jpg" alt="3-1takahashi" width="120" height="150" />俳句とシンビジュームや胡蝶蘭作りを楽しむ高橋弘子さん（69・柏市）は毎年、株を増やし育て、美しい花を咲かせている。その数20株。多い時は30株ほどあったらしく、20年以上たつ年期の入った見事な大株のシンビジュームは自慢の一つ。</p>
<p><span id="more-1437"></span>俳句との出合いは、女子高校で教師をしていた24、５歳の頃。恩師の勧めで結社「みちのく」に入り、５、６年続けた。その後結婚、子育てに忙しく中断。再び始めたのは58歳の時、友人の勧めで俳句結社『海』に入会、05年同人になった。36年の教員生活に幕を閉じた後、ボランタリーグループ生涯現役ときわ会の俳句部会「若葉会」にも入会した。</p>
<p>07年９月に初心者のための「初めての俳句の会・双葉会」をかまつか柏句会・藤岡貞夫支部長とわかば俳句会・杉山正則代表とともに立ち上げ、現在18人の会員が活動している。</p>
<p>俳句を通して「学ぶことが多い。覚えた字も多く、世の中に知らなかったことがこんなにあったのかと感心する」と笑う。そして「俳句は季語を覚えないと」と毎年、月ごとの歳時記を手作りし、女性が書いた時代小説はほとんど読んだ。短冊に毛筆で自作の句を書くためにいま、書道も勉強中だ。</p>
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		<title>児童生徒・教職員科学作品展－難波校長(松戸・河原塚中)が“優秀賞”</title>
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		<pubDate>Tue, 08 Dec 2009 22:00:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[松戸]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[タバコの害を説明する難波校長
「平成21年度児童生徒・教職員科学作品展　自作教具の部」※で、松戸市立河原塚中学校の難波幸男校長が優良賞を受賞した。作品は、「人形で見るタバコの害」。
難波校長は、シンナー･薬物乱用防止の講演をした警察官から、「未成年者はタバコに手を付けてはいけない。
次の刺激をシンナーに求める事もある」と説明されたのがきっかけとなり、「小さいうちからタバコ有害の認識を持つ事が、カッコつけてタバコを吸うという好奇心に打ち勝つ力になれば…」とタバコの害を分かりやすく説明する方法を考えた。
人形にタバコをくわえさせて火を付け、送風機で吸引すると、煙はガラス管（気管支）を通り左右のフラスコ（肺）に送られる。
肺に見立てたフラスコにはエチルアルコール水溶液が入っていてブクブクと泡立ち始めた。フラスコ上部には煙が充満し、タバコの煙が肺に入った事が分かる。
タバコを吸い終わる頃には、透明な水溶液が茶色に変色してしまった。
「人間の体内でも同じ現象が起きている。理科では対照実験が大事です。最初透明だったものが変色してしまう。自分の目で、タバコを吸った人形の肺の色を見れば、体に悪いと分かってくれるでしょう」と難波校長。
今後は学年集会等で実演する予定だそうだ。
最近〝理科ばなれ〝という言葉を耳にするが、難波校長はあまり心配していないという。「アンケートを取ると、理科が嫌いな子は少ない。中学生になると実験は楽しんでいるが、受験科目の理科は嫌いという生徒が出てくる。生徒達に楽しい経験をさせてあげれば、理科好きが増えてくるだろう」と話す。
校長自身、理科の先生らで作る「千葉県教育研究会松戸支部理科教育部会」に所属、会長を務めている。平成16年には、アイデアを出し合い「１００円グッズで遊ぶ・実験する　とっても楽しい科学の本」（メイツ出版）を出版。物作りの素晴らしさを体験させる事を糸口に、理科の面白さに気付いてもらう工夫をしている。
「何かないかな。自分も楽しめて人も楽しめるもの…」といろいろな物を興味深く見ている。物作りは〝真似る〝から入り、独自の工夫をして下さい。そして何でもいいから始めてみる。自分の手で作れればもっと楽しいです」とほほ笑んだ。
※県総合教育センター主管・児童生徒の創意工夫に富んだ作品や論文、教職員の自作教具を表彰している。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1279" class="wp-caption alignleft" style="width: 210px"><img class="size-full wp-image-1279" title="2-1" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2009/12/2-1.jpg" alt="タバコの害を説明する難波校長" width="200" height="150" /><p class="wp-caption-text">タバコの害を説明する難波校長</p></div>
<p>「平成21年度児童生徒・教職員科学作品展　自作教具の部」※で、松戸市立河原塚中学校の難波幸男校長が優良賞を受賞した。作品は、「人形で見るタバコの害」。<span id="more-1278"></span></p>
<p>難波校長は、シンナー･薬物乱用防止の講演をした警察官から、「未成年者はタバコに手を付けてはいけない。</p>
<p>次の刺激をシンナーに求める事もある」と説明されたのがきっかけとなり、「小さいうちからタバコ有害の認識を持つ事が、カッコつけてタバコを吸うという好奇心に打ち勝つ力になれば…」とタバコの害を分かりやすく説明する方法を考えた。</p>
<p>人形にタバコをくわえさせて火を付け、送風機で吸引すると、煙はガラス管（気管支）を通り左右のフラスコ（肺）に送られる。<br />
肺に見立てたフラスコにはエチルアルコール水溶液が入っていてブクブクと泡立ち始めた。フラスコ上部には煙が充満し、タバコの煙が肺に入った事が分かる。<br />
タバコを吸い終わる頃には、透明な水溶液が茶色に変色してしまった。</p>
<p>「人間の体内でも同じ現象が起きている。理科では対照実験が大事です。最初透明だったものが変色してしまう。自分の目で、タバコを吸った人形の肺の色を見れば、体に悪いと分かってくれるでしょう」と難波校長。<br />
今後は学年集会等で実演する予定だそうだ。</p>
<p>最近〝理科ばなれ〝という言葉を耳にするが、難波校長はあまり心配していないという。「アンケートを取ると、理科が嫌いな子は少ない。中学生になると実験は楽しんでいるが、受験科目の理科は嫌いという生徒が出てくる。生徒達に楽しい経験をさせてあげれば、理科好きが増えてくるだろう」と話す。</p>
<p>校長自身、理科の先生らで作る「千葉県教育研究会松戸支部理科教育部会」に所属、会長を務めている。平成16年には、アイデアを出し合い「１００円グッズで遊ぶ・実験する　とっても楽しい科学の本」（メイツ出版）を出版。物作りの素晴らしさを体験させる事を糸口に、理科の面白さに気付いてもらう工夫をしている。</p>
<p>「何かないかな。自分も楽しめて人も楽しめるもの…」といろいろな物を興味深く見ている。物作りは〝真似る〝から入り、独自の工夫をして下さい。そして何でもいいから始めてみる。自分の手で作れればもっと楽しいです」とほほ笑んだ。</p>
<p>※県総合教育センター主管・児童生徒の創意工夫に富んだ作品や論文、教職員の自作教具を表彰している。</p>
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		<title>病魔と闘いながらも笑顔で傾聴ボランティア－柏市・早川かねさん</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/news/kashiwa/hayakawa.htm</link>
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		<pubDate>Wed, 11 Nov 2009 00:30:34 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[柏]]></category>
		<category><![CDATA[ボランティア]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[笑顔を絶やさない早川さん
長年、リウマチで苦しみながらも柏市『傾聴ボランティアグループ　らびっと』で電話による活動を続け、人々に生きる力を与えている早川かねさん（72・柏市在住）。「落ち込んだらだめだと思う。笑顔でいれば人が近づいてくれ何とかなる。一日でも長くこの家に居たいし、トイレに行く足だけは確保しておこうと思う」と、満面の笑みを浮かべた。
早川さんは結婚を機に柏市桜台に移り住んだが、周りは田畑が広がり辺ぴな所、夫は３カ月から１年と長期の出張で留守がち、大勢の家族の中で育った早川さんにとって一人の生活は耐え難いものだった。「会った人は大事にしたい」と道路に出て、会う人会う人に声を掛け寂しさを紛らわせ、夜は怖くて眠れず明け方から眠りに着いていたと振り返る。
42歳の時リウマチが発病。股関節、両ひざ、右腕の関節などが次々に冒され７回の手術に耐えたあげく、脊柱管狭窄症、緑内障など、数え切れないほどの病気を体験。さらに数年前、合併症のシェーグレン症候群（涙や唾液の分泌が低下する病気）、次に線維筋痛症（全身のあらゆる場所で激しい痛みが発生する）とさまざまな病魔と闘ってきた。
一時は歩くこともできなくなった。だが、ただひたすら「自分の足で、２本の足で歩きたい。車椅子の生活はしたくない」と、歩行器（介護用・両腕を乗せる）を使い歩き、リハビリにも精を出し、自分の体に鞭打った。
うまく病気と付き合う方法も見つけ63歳の時、「何かやれることはないか」と歩行器で意気揚々、「英会話教室」の門を叩いた。ところが、一歩入ると日本語は一切使えない。できない恥ずかしさで体はガチガチ、汗はだらだら、何も話せないまま時間が過ぎるのを待った。
さらに、「その年齢で、その格好で、私だったようこられない」の一言にも傷つき、「もう行かない」と心に決めた矢先、「絶対にやめないで、来ていればプラスになることがあるから」と何人かが励ましの電話をくれた。そして次の回、タクシーで迎えに来てくれた。それからは「楽しもうと開き直り」、終わるとお茶とおしゃべりに花が咲いたという。「友達が自分を外に出してくれた。病気の人と話をすることが心の安らぎだった頃に比べ、まるで違う場所に行ったというこの経験は、今、誇り」と言う。
手術した日の夜は近所の人が付き添うなど、その時々に友人や近所の人に助けられ、「ありがたさが身にしみた」と言う早川さん。「友人のおかげで２人の子を産み育てた。遠くの身内よりも、近くの他人。ひたすら大事にしようと思った。ここまでこられたのもみんなのおかげ。私に何かできることはないか」と探した結果、やっと見つけたのが傾聴の会だった。
「私は幸せ。自分の意志で動くことができるんですもの。話ができているこの時間が幸せ。痛みは自分でしか分からないから、自分の受け入れ方しだい。不自由と思ったら省エネ生活ね」と少女のような笑顔を見せてくれた、まさに痒いところに手が届くような、工夫を凝らした、すっきりした台所が印象的だった。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_1157" class="wp-caption alignleft" style="width: 130px"><img class="size-full wp-image-1157" title="hayakawa" src="http://www.bunya.ne.jp/images/2009/11/hayakawa.jpg" alt="笑顔を絶やさない早川さん" width="120" height="158" /><p class="wp-caption-text">笑顔を絶やさない早川さん</p></div>
<p>長年、リウマチで苦しみながらも柏市『傾聴ボランティアグループ　らびっと』で電話による活動を続け、人々に生きる力を与えている早川かねさん（72・柏市在住）。「落ち込んだらだめだと思う。笑顔でいれば人が近づいてくれ何とかなる。一日でも長くこの家に居たいし、トイレに行く足だけは確保しておこうと思う」と、満面の笑みを浮かべた。</p>
<p><span id="more-1156"></span>早川さんは結婚を機に柏市桜台に移り住んだが、周りは田畑が広がり辺ぴな所、夫は３カ月から１年と長期の出張で留守がち、大勢の家族の中で育った早川さんにとって一人の生活は耐え難いものだった。「会った人は大事にしたい」と道路に出て、会う人会う人に声を掛け寂しさを紛らわせ、夜は怖くて眠れず明け方から眠りに着いていたと振り返る。</p>
<p>42歳の時リウマチが発病。股関節、両ひざ、右腕の関節などが次々に冒され７回の手術に耐えたあげく、脊柱管狭窄症、緑内障など、数え切れないほどの病気を体験。さらに数年前、合併症のシェーグレン症候群（涙や唾液の分泌が低下する病気）、次に線維筋痛症（全身のあらゆる場所で激しい痛みが発生する）とさまざまな病魔と闘ってきた。</p>
<p>一時は歩くこともできなくなった。だが、ただひたすら「自分の足で、２本の足で歩きたい。車椅子の生活はしたくない」と、歩行器（介護用・両腕を乗せる）を使い歩き、リハビリにも精を出し、自分の体に鞭打った。</p>
<p>うまく病気と付き合う方法も見つけ63歳の時、「何かやれることはないか」と歩行器で意気揚々、「英会話教室」の門を叩いた。ところが、一歩入ると日本語は一切使えない。できない恥ずかしさで体はガチガチ、汗はだらだら、何も話せないまま時間が過ぎるのを待った。</p>
<p>さらに、「その年齢で、その格好で、私だったようこられない」の一言にも傷つき、「もう行かない」と心に決めた矢先、「絶対にやめないで、来ていればプラスになることがあるから」と何人かが励ましの電話をくれた。そして次の回、タクシーで迎えに来てくれた。それからは「楽しもうと開き直り」、終わるとお茶とおしゃべりに花が咲いたという。「友達が自分を外に出してくれた。病気の人と話をすることが心の安らぎだった頃に比べ、まるで違う場所に行ったというこの経験は、今、誇り」と言う。</p>
<p>手術した日の夜は近所の人が付き添うなど、その時々に友人や近所の人に助けられ、「ありがたさが身にしみた」と言う早川さん。「友人のおかげで２人の子を産み育てた。遠くの身内よりも、近くの他人。ひたすら大事にしようと思った。ここまでこられたのもみんなのおかげ。私に何かできることはないか」と探した結果、やっと見つけたのが傾聴の会だった。</p>
<p>「私は幸せ。自分の意志で動くことができるんですもの。話ができているこの時間が幸せ。痛みは自分でしか分からないから、自分の受け入れ方しだい。不自由と思ったら省エネ生活ね」と少女のような笑顔を見せてくれた、まさに痒いところに手が届くような、工夫を凝らした、すっきりした台所が印象的だった。</p>
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		<item>
		<title>進行性難病「ＡＬＳ」と闘う戸谷勝國さん－パソコンで絵を描き個展を開く</title>
		<link>http://www.bunya.ne.jp/news/nagareyama/yumeten.htm</link>
		<comments>http://www.bunya.ne.jp/news/nagareyama/yumeten.htm#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 09 Sep 2009 01:44:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[流山]]></category>
		<category><![CDATA[イベント]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[展示会に向け作品制作に集中する戸谷さん
体の筋肉が徐々に動かなくなる進行性の難病・筋萎縮性側索硬化症（ＡＬＳ）を患う流山市東深井の戸谷勝國さん（65）がパソコンで描いた絵の個展「パソコン・マウスのゆめ展」が９月12、13の両日、市立森の図書館（同市東深井）で開かれる。
趣味で油絵を描き、美術展にも入賞していた勝國さんが体の不調を訴えたのは２００４年。
05年にＡＬＳと診断され退職、年末には人工呼吸器を装着するようになった。左脚から始まったまひは全身に広がり、現在は右手の親指と人差し指がわずかに動くのみという。
勝國さんが再び絵を描くきっかけとなったのは、都内在住の長女がインターネットの会員制無料サイトＳＮＳ（ソーシャルネットワーキングサービス）で送ってきた２歳の孫の愛らしい写真。パソコンに興味を持った勝國さんは操作を学び、指の力が弱くても使えるボールマウスを入手し、パソコンのペイントソフトで絵を描くようになった。
筆からマウスに変わってももともと大好きな絵。勝國さんは故郷・長野県の戸隠の風景や花火の様子などをマウスで見事に描き、ＳＮＳ上に「かっちゃん」の名前で発表するようになった。
昨年７月には初の個展を開催。多くの人が訪れ、備え付けのノートは「心打たれました」「色彩の華やかさが胸にしみます」といったメッセージで埋まった。勝國さんは「自分の個展が開けるなんて夢のようだ」と涙を流して感動したという。12月には肢体不自由児・者の美術展でＮＨＫ厚生文化事業団賞も受賞している。
ＮＨＫ厚生文化事業団賞受賞作品「真夏の夜の夢花火」
２本の指の力は以前より弱まり、制作のスピードもかなり落ちているというが「テーマがどんどん膨らみ、むしろ創作意欲は高まっているようだ」と妻の礼子さん（59）。勝國さんもＳＮＳ上で「私にできることは？今は絵しかありません」と自問自答している。
今回新たに出展するのは、ハートをモチーフにした絵や、沖縄の風景画など約50点以上。東深井古墳や利根運河など地元への愛着が伝わるものも含まれている。
礼子さんは「たくさんの方に来てもらい、病気や障害があっても前向きに生きることが大切だと感じてもらえたらいいですね」と話している。
▼開場＝９時30分から20時まで（13日は17時まで）。入場料無料。
▼問い合わせ　TEL：０４～７１５２～３２００（森の図書館）
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_802" class="wp-caption alignleft" style="width: 160px"><img class="size-full wp-image-802" title="totani" src="http://210.198.3.181/images/2009/09/totani.jpg" alt="展示会に向け作品制作に集中する戸谷さん" width="150" height="226" /><p class="wp-caption-text">展示会に向け作品制作に集中する戸谷さん</p></div>
<p>体の筋肉が徐々に動かなくなる進行性の難病・筋萎縮性側索硬化症（ＡＬＳ）を患う流山市東深井の戸谷勝國さん（65）がパソコンで描いた絵の個展「パソコン・マウスのゆめ展」が９月12、13の両日、市立森の図書館（同市東深井）で開かれる。</p>
<p><span id="more-803"></span>趣味で油絵を描き、美術展にも入賞していた勝國さんが体の不調を訴えたのは２００４年。</p>
<p>05年にＡＬＳと診断され退職、年末には人工呼吸器を装着するようになった。左脚から始まったまひは全身に広がり、現在は右手の親指と人差し指がわずかに動くのみという。</p>
<p>勝國さんが再び絵を描くきっかけとなったのは、都内在住の長女がインターネットの会員制無料サイトＳＮＳ（ソーシャルネットワーキングサービス）で送ってきた２歳の孫の愛らしい写真。パソコンに興味を持った勝國さんは操作を学び、指の力が弱くても使えるボールマウスを入手し、パソコンのペイントソフトで絵を描くようになった。</p>
<p>筆からマウスに変わってももともと大好きな絵。勝國さんは故郷・長野県の戸隠の風景や花火の様子などをマウスで見事に描き、ＳＮＳ上に「かっちゃん」の名前で発表するようになった。</p>
<p>昨年７月には初の個展を開催。多くの人が訪れ、備え付けのノートは「心打たれました」「色彩の華やかさが胸にしみます」といったメッセージで埋まった。勝國さんは「自分の個展が開けるなんて夢のようだ」と涙を流して感動したという。12月には肢体不自由児・者の美術展でＮＨＫ厚生文化事業団賞も受賞している。</p>
<div id="attachment_805" class="wp-caption alignleft" style="width: 210px"><img class="size-full wp-image-805" title="hanabi" src="http://210.198.3.181/images/2009/09/hanabi1.jpg" alt="hanabi" width="200" height="142" /><p class="wp-caption-text">ＮＨＫ厚生文化事業団賞受賞作品「真夏の夜の夢花火」</p></div>
<p>２本の指の力は以前より弱まり、制作のスピードもかなり落ちているというが「テーマがどんどん膨らみ、むしろ創作意欲は高まっているようだ」と妻の礼子さん（59）。勝國さんもＳＮＳ上で「私にできることは？今は絵しかありません」と自問自答している。</p>
<p>今回新たに出展するのは、ハートをモチーフにした絵や、沖縄の風景画など約50点以上。東深井古墳や利根運河など地元への愛着が伝わるものも含まれている。</p>
<p>礼子さんは「たくさんの方に来てもらい、病気や障害があっても前向きに生きることが大切だと感じてもらえたらいいですね」と話している。<br />
▼開場＝９時30分から20時まで（13日は17時まで）。入場料無料。<br />
▼問い合わせ　TEL：０４～７１５２～３２００（森の図書館）</p>
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		<title>全国チャンピオンメンズカットマン　松戸マイスター・大場工さん</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 01:01:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>東葛まいにち</dc:creator>
				<category><![CDATA[松戸]]></category>
		<category><![CDATA[人物]]></category>

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		<description><![CDATA[優勝時の写真と賞状を手に大場さん
「理容室フジ」新松戸店に勤務する大場工さん（63）は、「39回全国理容競技大会（第１部ベーシック・アイアニング）チャンピオンのメンズヘアカットマン。２００７年度の松戸市特別技能功労者に表彰され、『松戸マイスター』の称号が贈られた。

何か技術を身に付けようと試行錯誤していた矢先、知人に理容店を紹介された。ところが、シャンプーやマッサージ、シェービングの仕方の手加減が分からず「お客さんやマスターに叱られ、俺には合わないからやめよう」と弱気になった。
しかし、「このままやめるわけにはいかない」と営業時間外や休日を返上して、風船を使って顔剃りの練習をするなど努力した。見習い中にマスターから「インターンの千住支部大会に出てみないか」と声が掛かった。自信はなかったが「インターン生の中で負けて当たり前、一人でもいいから追い抜いてみたら自信になるよ」の一言で「気持ちが楽になった」と大場さん。
結果は８人中５位の成績で先輩を抜いた。自信が付き、競技大会の面白さを実感。各地区大会を目指すようになった。その後は、第16回の東京大会優勝（第１部）を皮切りに千葉大会は６回優勝している。37歳の時、第34回全国大会で敢闘賞に輝いた。
「初めての賞でうれしかった。泣きました。思いが走馬灯のように浮かんだ。みんなから胴上げされ、優勝を狙おうと意欲が涌いた」と振り返った。それから５年、理容の基本であるベーシック・アイアニングの技術が高く評価され、初めての「全国チャンピオン」のトロフィーを手にした。
26歳の若さで独立。松戸理容共栄会を立ち上げ、80年に松戸職業訓練校の開校にこぎつけ、初代校長、教育部長として生徒らを指導育成してきた。根っから仕事を教えることが大好きな大場さんは、手作りテキストで理容のノウハウを教え、多くの理容師を世に送り出している。
TEL：０４７～３４４～６０４９　フジ新松戸店
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			<content:encoded><![CDATA[<div id="attachment_638" class="wp-caption alignleft" style="width: 210px"><img class="size-full wp-image-638" title="ooba" src="http://210.198.3.181/images/2009/08/ooba.jpg" alt="優勝時の写真と賞状を手に大場さん" width="200" height="232" /><p class="wp-caption-text">優勝時の写真と賞状を手に大場さん</p></div>
<p>「理容室フジ」新松戸店に勤務する大場工さん（63）は、「39回全国理容競技大会（第１部ベーシック・アイアニング）チャンピオンのメンズヘアカットマン。２００７年度の松戸市特別技能功労者に表彰され、『松戸マイスター』の称号が贈られた。</p>
<p><span id="more-639"></span></p>
<p>何か技術を身に付けようと試行錯誤していた矢先、知人に理容店を紹介された。ところが、シャンプーやマッサージ、シェービングの仕方の手加減が分からず「お客さんやマスターに叱られ、俺には合わないからやめよう」と弱気になった。</p>
<p>しかし、「このままやめるわけにはいかない」と営業時間外や休日を返上して、風船を使って顔剃りの練習をするなど努力した。見習い中にマスターから「インターンの千住支部大会に出てみないか」と声が掛かった。自信はなかったが「インターン生の中で負けて当たり前、一人でもいいから追い抜いてみたら自信になるよ」の一言で「気持ちが楽になった」と大場さん。</p>
<p>結果は８人中５位の成績で先輩を抜いた。自信が付き、競技大会の面白さを実感。各地区大会を目指すようになった。その後は、第16回の東京大会優勝（第１部）を皮切りに千葉大会は６回優勝している。37歳の時、第34回全国大会で敢闘賞に輝いた。</p>
<p>「初めての賞でうれしかった。泣きました。思いが走馬灯のように浮かんだ。みんなから胴上げされ、優勝を狙おうと意欲が涌いた」と振り返った。それから５年、理容の基本であるベーシック・アイアニングの技術が高く評価され、初めての「全国チャンピオン」のトロフィーを手にした。</p>
<p>26歳の若さで独立。松戸理容共栄会を立ち上げ、80年に松戸職業訓練校の開校にこぎつけ、初代校長、教育部長として生徒らを指導育成してきた。根っから仕事を教えることが大好きな大場さんは、手作りテキストで理容のノウハウを教え、多くの理容師を世に送り出している。<br />
TEL：０４７～３４４～６０４９　フジ新松戸店</p>
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